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ソフィアは小さなウソをつく

2011年4月11日

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写真:「SOMEWHERE」のジョニーとクレオ (C)2010−Somewhere LLC拡大「SOMEWHERE」のジョニーとクレオ (C)2010−Somewhere LLC

写真:ポーカーをして遊ぶ父と娘拡大ポーカーをして遊ぶ父と娘

写真:父のフェラーリでドライブ拡大父のフェラーリでドライブ

写真:ソフィア・コッポラ監督=2004年撮影拡大ソフィア・コッポラ監督=2004年撮影

 ソフィア・コッポラ監督の「SOMEWHERE」(公開中)を見ました。昨年のベネチア国際映画祭で最高賞の金獅子賞に輝いた作品ですが、オヤジ願望全開なのに女の子の夢も満開という、両立しそうにないものが並び立っているちょっとフシギな映画でした。

 酒と女のただれた日々を送るハリウッドスターのセレブ中年ジョニー(スティーブン・ドーフ)。元妻からいきなりしばらく娘を預かってほしいと言われ、天使のような11歳の娘クレオと、ゲームに興じたり映画祭(みたいなもの)の授賞式のためイタリアに連れて行ったり。どんよりにごった日々が輝き始め、ジョニーは父親としての愛と責任に目覚めるのでした、というお話。

 何より素晴らしいのはクレオを演じるエル・ファニング。「アイ・アム・サム」(2001年)で姉ダコタ・ファニングの幼少時を演じていましたが、こんな美少女に成長していたとは。ソフィア・コッポラは、輝く白い肌と澄んだ青い瞳、そしてサラサラロングヘアという自分好み(自分の投影)のエルに、フィギュアスケート、水着、イブニングドレスと盛大なコスプレ大会をさせ、普段着もシンプルで上質。さすが自らファッションブランドを立ち上げるだけのことはあるセンスの良さで、役と同じ11歳の少女の美しさを称えあげます。

 こんな可愛い娘に氷上の優雅なターンを見せてもらい、うまそうな朝食(こんがりマフィンとハム、ポーチドエッグにとろ〜りチーズソース)を振る舞われ、豪華なスイートのプールで一緒に戯れ、キングサイズベッドに並んで寝ころんでルームサービスのジェラートをなめ、晴れのセレモニーで腕を組んで歩き、最後にゃ「ママは戻ってくるの? 私どうしたらいいの?」なんて泣かれたりしたら、それはもうオヤジはイチコロです。ロビーのソファでうたたねする娘に聞かせようと、ちょっとたどたどしいゴールドベルク変奏曲のアリアなんか弾いちゃいます。お父さんカッコいい!

 というわけで、自由に暮らしつつたまにはかわいい娘と仲良く遊んで甘えられたい、娘が泣いていたら肩を抱いてなぐさめてやりたい、というオヤジ願望大満足。その一方で、勝手な暮らしをしてるパパに「私みたいなかわいくてオシャレで料理もうまい娘のいない人生なんて退屈で空しい」と思わせたい、私もセレブみたいに着飾ってぜいたく味わってチヤホヤされたい、というオトメ願望もバッチリ。この同居がバランスよく成り立っているのは、オヤジの(監督の)娘を見るまなざしに、イヤラシサがないからでしょう、たぶん。

 本作の脚本も書いたソフィア・コッポラは心の中にオヤジと少女を飼っているオヤジギャルなのか(←使い方間違ってます)、父フランシス・フォード・コッポラの撮影について回ってオヤジに囲まれて育ったために究極のオヤジ転がし、オヤジたらし女と化したのか? それでベネチア映画祭の審査員長だったタランティーノ(ソフィアの元カレ)もコロッと参ったのか? 興味がわいたので、恥ずかしながら未見だった「ロスト・イン・トランスレーション」(ソフィアが脚本・監督、2003年)を見たら、あれれ、なんだか同じ話みたい。

 日本にCM撮影に来た中年スターのボブ(ビル・マーレイ)と、カメラマンの夫にホテルにほったらかしにされてる若妻シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)が、互いの孤独をなぐさめあうお話。「SOMEWHERE」も本作も、スターがつまらない仕事をつまらなそうにやっているところばかり見せ(スターにはやりがいのある仕事はないらしい)倦怠(けんたい)と寂寥(せきりょう)を強調、そこに女性が現れ、つかの間ともに過ごすことになるのも一緒。2人の関係が徐々に濃密になっていくのを心象風景のようなスケッチを重ねて描くのも、倦み疲れていた男が愛に目覚めるドラマも、2人の再会を期待させるラストも同じです。

 「SOMEWHERE」の前に「ロスト〜」を見ていたら、シャーロットとボブがちっとも男女の関係にならないのが不思議でもどかしく思ったでしょうが、この2人は疑似父娘なのでしょう(終盤に転調しますけど)。ベッドで升酒をあおり「甘い生活」を一緒に見ても2人は甘い関係にはならず、こんな会話を交わします。

 「わたし行き詰まってる。何をやればいいのかわからないの、文章も写真もやってみたけどダメで」

 「今に道が見つかるよ、書き続けるんだ」

 親子っぽい会話です。さらにボブはこんなことも。「子どもが出来た時は怖かったよ。でもやがて、子どもこそ人生で何より素晴らしい存在になる」

 ソフィアは、かつて父にこう言ってもらったか、あるいはこう言ってほしかったのでは?

 物語性が希薄で長い序奏のような展開が続き、終盤あたりで唐突に男の方がくずおれて愛を求めるドラマになるというのも2作に共通。ジョニーは電話で「オレは空っぽの人間だ」とすすり泣き、ボブは「自分を完全に見失ったよ」と吐露します。しかも2人とも、電話の相手は似たようなポジションなのです。

 「SOMEWHERE」でゾクッとするシーンは、クレオが父の昨夜のベッドのお相手を交えて3人で朝食をとる時、父にちょっとトゲのあるまなざしを向けるところです。「ロスト〜」を見たら、ボブがバーラウンジの歌手と寝たと知ったシャーロットがしゃぶしゃぶ屋で同じような目つきをしていて、思わず「ソフィアは子どものころ父親にこういう目にあわされたのかな〜」と勘ぐってしまいました。

 「外国に来たくらいで(しかも大都会の高級ホテル暮らし)孤独、孤独って言われてもなあ」とか「セレブはつらいよ? スカしたオヤジがなに気取ってんだよ」と言いたい気分もありますが、センスのいい抑制的な映像をつないで、タメにタメた末にデレッと愛にもっていく甘いラストは、こらえにこらえた健さんがついに怒りの殴り込み、みたいで(?)それなりに魅力的です。ご興味のある方は2本見比べてみてはいかがでしょうか。

 あ、タイトルに書きながらタメにタメてました「ソフィアのウソ」ですが、ボブは独りで(ジョニーはクレオと2人で)外国に仕事に行き、単独行動したりほったらかしにされたりしますけど、田舎に営業に来た三流芸人じゃないんですからちょっとあり得ません。普通は本国からマネジャーやらアシスタントやらがゾロゾロついてきて、迎える側も配給会社や映画祭のスタッフが張り付いて、送り迎えだ取材だ会見だランチの予約だ夜の宴席だ、とスケジュールはギッチリ。孤独なんて感じるヒマはない、というよりトイレとベッドくらいしか独りになれないんじゃないかと思いますけど。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。

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