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2011年6月27日
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小原篤のアニマゲ丼

オトコはオオカミなのよ〜

文:小原篤

写真:「人狼 JIN−ROH」DVDはバンダイビジュアルの「EMOTION the Best」シリーズから発売中拡大「人狼 JIN−ROH」DVDはバンダイビジュアルの「EMOTION the Best」シリーズから発売中「人狼 JIN−ROH」を楽天で検索

写真:「人狼」公開時の沖浦啓之監督=2000年5月撮影拡大「人狼」公開時の沖浦啓之監督=2000年5月撮影

イラスト:「ももへの手紙」イメージビジュアル (C)2012「ももへの手紙」製作委員会拡大「ももへの手紙」イメージビジュアル (C)2012「ももへの手紙」製作委員会

 「人狼 JIN−ROH」で精緻(せいち)なアニメーションを見せた沖浦啓之監督の待望の新作「ももへの手紙」が、来年劇場公開されるそうです。初監督作「人狼」(原作・脚本は押井守監督)は、日本公開は2000年ですが完成は1998年。第2作までずいぶんと間が空きましたが、沖浦監督が脚本・絵コンテも手がけた新作は、いかなる物語になるのでしょうか。

 「父を亡くし瀬戸内の田舎に越してきた少女ももが、屋根裏で古めかしい本を見つけたことから、彼女の周りで不思議なことが起こり始める」という筋書きだそうですが、もしや新海誠監督の「星を追う子ども」のように、沖浦監督も正統派ジュブナイル・ファンタジーを目指すのか、あるいはあくまでも日常をベースにした、少女が喪失を乗り越えていく成長物語なのか? いずれにせよ「人狼」とは大きく肌合いの違う映画になりそうです。

 沖浦監督には「人狼」公開時にインタビューしました。技をつきつめていくタイプの職人気質を感じさせ、静かな口調ながら「出来には満足してる。『これを見ないで何を見るんだ』というくらいの思いはあります」と言い切る自信と潔さが印象的でした。別の機会には、「人間を描くという点で一番影響を受けた作品」として「母をたずねて三千里」についてお話をうかがいました。

 さてその「人狼」ですが、通い続けているアニメ評論家藤津亮太さんの講座「アニメ映画を読む」(昨年11月の本欄参照)の6月のお題になったので久々に見返したら、いろいろと面白い発見がありましたので、私の妄想めいた深読みにおつき合いください(一部「性的な」妄想もありますのでご注意を)。

 重武装で反政府組織と闘う首都警「特機隊」の隊員・伏一貴が、爆弾の運び屋の少女・七生を撃つのをためらい、彼女はその場で自爆。伏は七生の姉という圭に出会い、何度か会ううちにひかれてゆくが、実は圭は首都警の公安部門が差し向けたスパイで元テロリスト。スキャンダルをでっち上げ厄介者の特機隊をつぶそうという公安の陰謀だが、それを知った伏も実は特機隊の秘密組織「人狼」の一員。待ち伏せる公安の裏をかいて圭を連れ去り、人狼メンバーに引き渡した後、追ってきた公安一派を機関銃で一掃。圭を撃てとの命令には抵抗するも、苦悶の叫びを上げ彼女に弾丸を撃ち込む。

 というのがオモテのストーリー。恋と裏切り、暴力と謀略を描き、しっとりとした叙情を帯びたハードボイルドなドラマになっているわけですが、劇中たびたび挿入されるのが「赤ずきん」を少々アレンジした童話。狼を伏に、赤ずきんを七生と圭に重ねているその寓意を読め、と作り手は言っているのでしょう。で、読んだらどうなったかというと、これはイニシエーション(通過儀礼)としてのセックスを描いた、つまり「童貞卒業」のドラマということになりました(いや、だってそう見えちゃったんだからしょうがない)。

 伏はなぜ七生を撃たなかったか? 序盤、伏が首都警幹部から理由を問われ、終盤、伏に撃ち殺される直前に公安の辺見(伏とは養成所の同期生)も「なぜあの時お前は撃たなかった? 何が違うというんだ?」という問いを発しますが、伏は「わかりません」としか答えず、劇中で明確な理由は示されません。そして同期の友人さえ躊躇(ちゅうちょ)なくミンチにした直後なのに、自ら圭を人狼メンバーに引き渡したというのに(殺されなくたって軟禁は確実)、伏は圭を撃つのはためらう。つまりは、女を撃てなかった伏がついに女を撃つ、というところにこのドラマの重点があるわけで、この場合「女を撃つ」が何のメタファーかはおわかりですね。人狼のリーダーらしきオッサン(伏の教官でもある)がわざわざ伏に銃を渡して圭を殺せと促す展開は、これが伏のイニシエーションであることを示しています。

 圭に出会って間もなく、伏が見る夢の中で、狼の群れに襲われる圭はとてもエロティックです。夢の中で伏自身も恍惚とした表情の圭に銃弾を浴びせ、ここで「赤ずきんを食べる」「女を撃つ」ことの性的な意味がイメージとして明示されます。ラスト、銃を持った伏に圭が抱きつき、童話の一節を唱えるのは「赤ずきん」の物語を成就させよ、つまり自分を食べて(殺して)というメッセージ。一発の銃声の後、一つに合わさっていた二人のシルエットが崩れ、独り立ちすくむ伏の体からまるで男性器のように銃が突き出ているシーンを見て、私の妄想は確信になりました。教官が「そして、狼は赤ずきんを食べた」とつぶやき、映画はEND。なるほど、エピグラフ(冒頭の章句)にある「その者は狼のようなものである その者は狼である」は一種の謎かけで、前者が卒業前で後者が卒業後なのね……。

 ちなみに沖浦監督はこの映画がきっかけで、圭を演じた声優・武藤寿美さんと結婚したのですが、この脚本を沖浦さんに渡した押井さんはその成り行きに「してやったり(ニヤニヤ)」という心境だったんじゃないかなと、ふらちな妄想家であるワタシはニヤニヤしてしまいます。

 実はさらにもう一段深読みして、「伏=不能」説という妄想もあるのです(いい加減にしろって?)。デートの最中に雨に降られ、濡れそぼった圭が思い入れを込めて伏を見つめる、というシーンは、これから二人が結ばれることを暗示しているように見えるのですが、その後、公安から逃れてデパートの屋上にやってきた二人がおずおずとキスを交わす場面は、すでに深い仲になった男女には見えません。ここに「伏=不能」を当てはめると、疑問は氷解。七生を前に動けなかった理由も、エロティックな夢の意味も、圭を撃つ苦悶の表情も、さらに深いドラマとなって納得が行くのですが、すみません、この辺でやめておきます。「人狼」ファンの方、怒らないでね。

 というわけで、来年公開の沖浦監督の新作がどんな妄想スイッチを入れてくれるのか(別に妄想させてくれなきゃイヤってわけじゃありませんが)今から楽しみです。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。

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