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2011年9月5日
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小原篤のアニマゲ丼

痛みが痛みを呼びさます

文:小原篤

写真:「監督失格」から、林由美香さん (C)「監督失格」製作委員会拡大「監督失格」から、林由美香さん (C)「監督失格」製作委員会

写真:「監督失格」から、平野勝之監督拡大「監督失格」から、平野勝之監督

写真:映画には林由美香さんの母も登場する拡大映画には林由美香さんの母も登場する

写真:自転車旅行中の平野監督と由美香さん。映画は東京で先行公開、10月1日から全国拡大ロードショー拡大自転車旅行中の平野監督と由美香さん。映画は東京で先行公開、10月1日から全国拡大ロードショー

 素晴らしい映画と、すごい映画を見ました。素晴らしい映画とは「ツレがうつになりまして。」(10月8日公開)。これはまた後の機会に書くとして、今回はすごい映画「監督失格」(9月3日から公開中)について

 映画監督平野勝之さんが、愛人だった女優の林由美香さんとの思い出をふり返るセルフドキュメンタリー。そして、この映画がどうやって出来上がったかを描いた映画でもあります。ボンクラな私は、林さんの出演作は「たまもの」(2004年)しか見たことがなく、2005年に34歳で痛ましい最期を遂げた(自宅で死後2日の状態で発見)その経緯についても映画の途中まで忘れていたていたらくで、思い出した瞬間にこれから何が映し出されるのかとおののきましたが、それはさておき、まずは冒頭のシーンから。

 現在の平野さん(46歳)が、激しい腰痛でうめきながらも自転車に乗り、カメラ片手に夜の街をヨロヨロと走り出すところから始まります。いったい何のために? という疑問を残して映画は14年前、平野さんと由美香さんがドキュメンタリーAVを撮るため敢行した北海道への自転車旅行にさかのぼります。

 ゴロゴロして「幸せですか?」「幸せだよ」といったボケた会話があり、平野さんが公衆便所の前の水道で洗髪したり、由美香さんが「ケンカしました」とカメラに向かってグチこぼしたり、「家出して水商売して処女売って」といった身の上話をしたり、廃バスの中でゲロはいてオシッコこぼしたり、無人島でハダカで記念撮影したり、目標達成したのに帰りの船上でまたケンカしたり。グズグズ不倫カップルのヨレヨレ旅行記といった体で、ちっとも「感動的」ではありません(でももう一度見たら、ここで泣くでしょう)。

 そして映画はその後の2人を追います。旅行記がピンク映画として公開された後、平野さんは由美香さんと別れ、撮る対象を見失ってグダグダ。一方の由美香さんは「貴重な体験でしたねー。あたしは自分がネタになっても私生活うつされても、面白けりゃいいって人で」とサバサバ。友人のような関係が続き、2005年4月に再びドキュメンタリーAVを撮るべく平野さんが由美香さんにカメラを向ける――といったあたりで、私はその後に待っている展開にようやく気づき、試写室のイスのひじかけを緊張で握りしめたのでした。

 「そのシーン」に、何が映っているのかはここでは申しません。現実が持つ圧倒的な重さは胸が苦しくなるほどで、さらに、対象との距離感といい、画面に映りこんだ不条理なコントラストといい、半ば偶然の産物なのですが絶妙としか言いようがありません。

 ただし、この映画のかなめはココではありません。由美香さんの死を発見した後、カメラを手にすることができなくなった平野さんは、5年後に意を決して撮影を再開するも、編集作業でどうにも行き詰まり、そして冒頭の腰痛中年の自転車撮影につながります。この日、この夜、なぜ痛みをおして自転車に乗らなければならないのかが明かされ、映画はクライマックスを迎えます。

 ぎっくり腰でコルセットをつけた姿で、うめくように号泣し、しゃくりあげ、せき込み、せきが腰に響いて「いてえ!」と声を上げ、しかし慟哭(どうこく)を止めることは出来ない。笑ってしまうくらいなさけない姿なのに、いやだからこそ、腹の底からはき出される悲しみが見る者の胸をえぐり、それまでのグダグダな日々がオセロの大逆転のように感動的なものに変わります。

 腰の痛みが、平野さんが押し殺していた心の痛みを呼びさましたのかも知れません。あふれ出る思いのまま、泣いてうめいて、二つの痛みが一つになって、平野さんは自転車から夜空に叫びます。いまこの言葉を叫ばなければ、決着がつかない。この叫びを撮らなければ、映画は完成しない。「喪失」と引き替えに映画を手に入れるため、平野さんは自らにカメラを向け、虚空の由美香さんに叫び続けます。

 「監督失格」というタイトルは、「肝心な時にカメラを回さない」平野さんに由美香さんが「監督失格だね」と言ったところから取られているのですが、ラスト、まさに肝心かなめの時にカメラを回している平野さんはまるで、虚空の由美香さんに「オレはもう大丈夫だよ」というメッセージを送っているかのように思えてきます。見た目は、泣いて絶叫してヨロヨロ自転車こいで、どこから見てもマトモじゃありませんが。

 「喪失」の痛みを描いた映画は数多くありますが、これは、ひとりの女優の命とひとりの監督の人生をかけた、一生に一度の映画。いや、映画の枠におさまりきらない、すごい作品です。ちなみに由美香さんはAVやピンク映画で名をはせましたが、この映画は一般指定。どなたもご覧になれますので、ぜひどうぞ。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。

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