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2011年11月21日
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小原篤のアニマゲ丼

「若者は夢を持つな」と監督が言った

文:小原篤

写真:東京芸大で講演する押井守監督拡大東京芸大で講演する押井守監督

写真:「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」DVD(バンダイビジュアル)拡大「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」DVD(バンダイビジュアル)

写真:「スカイ・クロラ」DVD(バップ)拡大「スカイ・クロラ」DVD(バップ)

写真:「イノセンス」DVD(ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン)拡大「イノセンス」DVD(ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン)

写真:第1部で講演した竹宮恵子さんは自身の経歴をたどる形で少女マンガ史を概説拡大第1部で講演した竹宮恵子さんは自身の経歴をたどる形で少女マンガ史を概説

 腑(ふ)に落ちる、という言葉がありますが、先日東京芸大で行われた押井守監督の講演を聴き、ストンと腑に落ちる発言がありましたのでご紹介しましょう。押井監督の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」(1995年)で言及される「ゴースト」とは何か? 「スカイ・クロラ」(2008年)というお話はどうして救いがないのか? それが分かった(と思った)のですが、ご興味あります?

 極限まで体を機械化し電脳化したサイボーグに唯一残る「命」のあかし、「私」のあかしである「ゴースト」。意識、精神、心、魂「のようなもの」と私は解釈していましたが、押井監督は端的に「思い」だと表現しました。

 「攻殻が評判になって、海外であれこれたくさん質問されたが、最終的に彼らの聞きたいことは一つ。『ゴースト』って何だ?ということ。ゴーストとは、魂ではない。スピリット(精神)ではない。フィジカル(肉体的・物理的)ではない何か。神が作ったものではなく自然過程として生まれるもの。あなたにも私にも花や犬や猫にもあり、もしかしたら人形にもあるかもしれない。つまりゴーストとは『思い』のこと。使い古した人形にはゴーストが宿る。日本人ならすぐ分かるが、欧米人には全く分からない。彼らの考える『魂』や『スピリット』はそんなあいまいなものではないから」

 なるほど、アニミズム的な東洋(orient)思想が入ってるわけで、「思い」であるとはまた、ズバッと言い切って「なるほどそうか」と納得させられる一方、じゃあ「思い」って何だ?と考えるとすごくあいまい。あいまいな方がわかりやすい、というのはこれも東洋的な、あるいは日本的な考え方かもしれません。しかしそうしたインタビューで通訳は押井監督の言う「思い」を何と訳したんでしょうか? feeling? affection? emotion?

 監督はそこから「攻殻」やその続編「イノセンス」(04年)の受容について自らこう解説します。

 「攻殻はアメリカとヨーロッパで受容のされ方が違う。ヨーロッパではオリエンタリズム、新たなサイバー・オリエンタリズムとして受け止められた。カンヌ映画祭(『イノセンス』がコンペ参加)やベネチア映画祭(『スカイ・クロラ』がコンペ参加)がなぜアニメを招聘(しょうへい)するのか? 学問や文芸の世界と同様に『周辺の文化』として参照しているに過ぎない。ギリシャ・ローマ的な、あるいはキリスト教的な『正統』とは異なる、『辺境』の文化・思想と見られている。一方のアメリカでは、攻殻は『ヤッピーの玩弄(がんろう)物』。やたら強い女性が哲学を語りながらマシンガン打ちまくるのがクールだ、と。ドラマや思想は関係なくて、ナイトクラブで繰り返し上映したりする。これはアメリカ流のグローバリズムみたいなもので、ヨーロッパ(のアカデミズム)と同様、両者とも自分たちの価値観から外側を語っているに過ぎない」

 異端の珍奇な文化、という受け止められ方は日本アニメ全体にも当てはまることで(日本国内ですらしばしば珍物扱いされるわけですが)、「攻殻」と「イノセンス」はその中核に東洋的な思想をはらんでいたために、古来の「東洋趣味」にとどまらず、エドワード・サイードの批判した帝国主義的なまなざしであるところの「オリエンタリズム」にまで触れる結果となったわけですね。

 さてもう一つ面白かったのは、今のところ押井監督最後の長編アニメとなる「スカイ・クロラ」についてのお話。同作のことを押井監督は「若者にやさしい映画を作った」と言ったが、と司会者から水を向けられると――。

 「やさしい、というのは、励ますとか慰めるのとは違う。『親身になれた』という意味で、それまでは若者のことはどうでもよかったのが目を向けるようになったということ。で、若い人のことを考えれば、本当のこと、残酷なことを言わざるを得ないと思い、ちょうどそのころ中学生や高校生と話す機会がたくさんあったので、こういう話をした。あなたたちは限りなく凡庸で無名で何の個性もないんだ、『一人一人がかけがえのない存在だ』なんて大人のウソを信じるのはやめて、早く幻想を捨てろ、夢を持つな、あなた方の未来にいいことなんて何一つないんだ――というところから始めたらどうでしょうか、と」

 なんて身も蓋(ふた)もない、と思いましたが08年8月11日の本欄で私は「スカイ・クロラ」について「あまりに救いのない、というか身も蓋もない結末ではありませんか」と書いていたのを思い出しました。

 伝説的な最強パイロットのコピー(クローン?)らしき主人公は、永遠に年をとらないまま死ぬまで戦争ショーを続ける己の運命から脱出するべく、その最強パイロットに戦いを挑んであえなく死亡。そして別のコピーらしき青年が、かつての主人公と同様に基地にやってくる…というのがそのラスト。子供(コピー)はしょせん大人(オリジナル)には勝てず、円環は閉じたまま、永遠に同じ時間の繰り返し。

 ということは「夢も希望もない。そこから始めよう」という監督のメッセージが見事に映像化されていることになるわけです。うーん、でもやっぱり、せめて何かが始まるところまでを見せてほしかったのですが、それでは「大人のウソ」になる?

 この講演は、東京芸術大学大学院映像研究科が11月12日に開催した「第2回映像メディア学サミット LOOP−02 マンガ・アニメの映像メディア学的再考」の第2部として行われました(第1部はマンガ家・竹宮恵子さん)。

 押井監督は、日本人が科学技術の表面的な受容と円滑な運用のみにかまけ、その技術の核たる思想、技術をゼロから立ち上げる思想を持たなかったことが今回の原発事故を生んだと指摘。様々な当事者の認識を改めるために今回の事態をヒロシマ・ナガサキに続く「第3の原爆」と呼ぶべきだと訴えました。「技術の思想」の欠如は、ロボットに「かっこよさ」のみを求めるアニメ製作者の思考にもあてはまる、と自作「機動警察パトレイバー」をもとに批判を展開し、そして訴えかける核を持たない日本アニメは、その表層を細緻(さいち)に描き込み磨きあげることで「極東の島国の珍なる文化」として世界に地位を獲得したと分析。工芸品的に細部を作り込みたがるその日本人的な意識が、細緻(さいち)な映像表現に好適なロボット・アンドロイド・サイボーグなどへと向けられた結果、肉体や自意識をめぐるテーマへと結びつき、つまりはアニメという表現形式が発展過程でテーマをはらんでしまったのだと説き明かしました。そして現実の劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで「表現」の体をなしていない。あと、ユニコーンガンダムのツノはアイデアとして面白いけど、だからどうなの?

 ってな話を約2時間、相変わらず、とうとうとまくしたてたのでありますが(上のまとめは少々わかりやすくかみ砕いてます)メモをとるのが疲れました。私はそれより、新作の話はないの?って聞きたかったんですけど。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。

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