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「ウルトラセブン」第37話「盗まれたウルトラ・アイ」には、マゼラン星人マヤという宇宙人が出てくるが、ずっと人間の姿(美少女)のまま。客の消えたアングラバーで、ダンは母星に見捨てられたマヤに「この地球で生きよう」と訴えるが、彼女は姿を消し(自害したらしい)ダンはむなしく夜の街を歩く。暗いムードと悲しいラストからは、地球にたった2人の「異邦人」の痛いほどの孤独が伝わり、まだ小学校低学年だった私の心に深い余韻を残しました。
この脚本を書いたのは、市川森一さん。
「あれは、予算を使い果たして新しい宇宙人(の着ぐるみ)が作れないから、ナシでやってくれって言われて書いたんです。特撮らしい特撮場面もないけど、リアルなドラマとして成立していたから、局からも何も言われなかった」
「そういえば、着ぐるみも宇宙人との戦闘もなかったです! 今まで気づきませんでした」と私。
「それは、こちらの狙い通りですね」。うれしそうにニッコリほほえんだ顔を思い出します。日常に溶け込む幻想味、哀切な詩情、清冽(せいれつ)なペシミズム――「盗まれたウルトラ・アイ」は、たぶん私にとって、最初に触れた「オトナのドラマ」の一つでした。
10日に亡くなった脚本家の市川森一さんは、「快獣ブースカ」でデビューし「ウルトラ」シリーズで活躍。大人向け番組に活動の場を移してドラマ「傷だらけの天使」「黄金の日々」「淋(さび)しいのはお前だけじゃない」、映画「異人たちとの夏」などを残しました。
私が取材させていただいたのは1998年11月。「ニッポン現場紀行」というルポもの企画で、東京・成城のスタジオ「東宝ビルト」の「ウルトラマンガイア」撮影現場にご一緒にうかがいました。迎えて下さったのは特技監督の佐川和夫さん。現場での佐川さんとのやりとりや市川さんの述懐をまとめた記事は11月13日朝刊に載りましたが、当時のノートを見返すと、書ききれなかったお話もとっても面白いので、ここに採録いたします。市川さんの目は、鋭く、優しく、時代を見通していたのだな、と改めて思います。
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25歳で「ブースカ」、30歳で(メーンライターを務めた)「ウルトラマンA」を書いた。20代までの若い想像力がないとウルトラシリーズは書けないと思っていた。「A」の時期に結婚したので、男女の合体変身なんて発想は結婚したせいだろ、と冷やかされた。個人的には、ウルトラの父とか母とか出てきてホームドラマっぽくなってしまったのには、抵抗感がありましたね。
ウルトラは、ドラマの中で遊べるんです。どんな破天荒なことを考えても絵になる。自分自身、ウルトラランドで遊ばせてもらった。そして(Aのあと)自分がもう遊べなくなっていることに気づいてシリーズから降ろしてもらった。
木造だったスタジオが随分立派になったね。25年ぶりです。ライターは、円谷プロの企画室には出入りしますが、スタジオへは最初にどんなセットなのかを確認に来るだけで、後はもう書くのに追われて。「セブン」の頃は作れば作るほど赤字。円谷英二という人は職人肌で、いいものを作るためなら採算を度外視する。それだから「着ぐるみナシの話を書いて」なんていうことになる。
(佐川さんと対面)
市川「たまに来るとワクワクする。25年ぶりですよ」
佐川「そんなになるの? やだなぁ」
市川「生で見ると、怪獣は迫力ありますね。佐川さんは無口だったよね、円谷さんもそう」
佐川「オヤジ、オヤジって呼んでた。オレが最後の直弟子かな。あの時代から今も現場やっているのはオレだけ。オヤジさんも死ぬまで現場だったから、オレもね」
市川「こっちも何年たっても(ウルトラが)ついてまわる。こんなに長続きするとはあのときは思っていなかった」
佐川「ライターも現場も、みんな20代だった」
市川「一さん(円谷英二の長男・円谷一さん)も金ちゃん(シリーズ初期の中心脚本家・金城哲夫さん)も40前後で亡くなって」
佐川「もう年だからやめようと思っても、現場に来ると楽しくて忘れちゃう」
市川「ホッとするよ、知っている人がひとりでもいると。昔は赤字続きだったね」
佐川「それは変わらない。びっくりするくらい(お金を)かけてるよ」
市川「たまに来ると、また書きたくなっちゃうね」
(スタジオを辞し、喫茶店でお話の続きを聞く)
昔は小学生から上が相手なので「セブン」のようなテーマ性の強いものもかろうじてやれた。今は(玩具戦略のため)幼児対象にならざるを得ないから文明批評はできないよね。でも、グリムもそうだけど、童話の中で真実を語ったり、人間の醜い部分を提示したりっていうのは語り口を考えればできないことはない。そうしたメッセージというのは、幼児でも(心に)残りますから。子供だからといって滑った転んだだけではいけない。
「帰ってきたウルトラマン」で書いた「ふるさと地球を去る」という話は、MATの隊員が子供に武器を貸す。いじめられている子のためを思ってなんだけど、弱虫のその子は武器の力にひきつけられてしまう。我々の作品が子供の心をとらえる理由は、「正義が勝つ」といったことより単に兵器のかっこよさなんじゃないか。そんな危惧をそのまま作品化したんです。
いま人間ドラマを抜きにしてやたら戦闘場面を美化する作品が、アニメを含めて増えているのが気になる。その行き着く果てが「エヴァンゲリオン」では。我々の作ったものが「エヴァ」のような形で照り返ってくると、「ふるさと地球を去る」の危惧が当たっていたんだなと愕然(がくせん)となる。ただ、「エヴァ」は戦うことの空しさを意識して作られている。そこは「セブン」のテーマが引き継がれていると思う。
「セブン」で僕自身、意識変革させられた。闘いのかっこよさなんかではなく、金城も上原(脚本家の上原正三さん。2人とも沖縄出身)も、侵略者という設定に沖縄とヤマトンチュの関係を重ね、苦悩しながら書いていた。全然意識が違う。ほかのライターもゲバ棒をペンに持ち替えて、みたいなヤツばかり。ただのヒーローものになるわけがない。
あの頃はベトナム戦争があり公害があり米ソ対立があり、大きな文明の壁と青春が、現実の中で戦っていた。戦う対象があった。「セブン」は決して体制側から生まれたヒーローではなく、20代の批判精神によって作られた奇跡のヒーローだった。「正義」とは? 「侵略」とは? セブンと宇宙人の間で両脚かけて、自問自答をし、円谷の企画室や飲み屋で毎日議論していた。いま果たしてそういう議論をしてホンを作っているかしら?
時代が戦う目的を見失い、カオスの中でヒーローは登場の機会を失っている。でも事態は変わってないどころか深刻化していて、いまセブンが地球を救うとしたら敵は人間かも。(人類は先住種族から地球を奪った侵略者だった、という設定の42話)「ノンマルトの使者」(脚本は金城哲夫さん)が予言してしまったね。
新たなヒーローを生み出すにはエネルギーがいるが、それを奪ったのは豊かさなのかも知れない。ヒーローは求めないと生まれない。人間がギリギリまで働き、隊員がギリギリまで戦わないと、ヒーローは現れない。それほどの切実な場面が、この20年間なかったということ。その代わり、基地のあったはずの富士の裾野にサティアンなるものが出現してしまった。ヒーローの出現の仕方が何やらいびつになってきた感があります。
ウルトラマンは今、うまい具合に二世代にリンクしている。自分の子供時代のヒーローを見て、少年期を思い出すと同時に、自分の子にも受け継がせていくことに積極的なんだろう。親子を結びつけているという存在意義はあるが、ノスタルジーの中でよみがえったに過ぎない。ノスタルジーを子に押しつけていると言ってもいいんじゃない?
現実と虚構の戦いというのはウルトラのテーマだった。確固たる現実があってこそ虚構の到来が表現できる。今は現実が虚構の中に飲み込まれ、この街の風景も建物も虚構化している。「木造アパートの四畳半」という現実感がなくなった。原点に返って(1954年の映画)「ゴジラ」が持っていた強烈な文明批評の精神を取り戻さないといけないと思うんだけど、人類はもう破滅に向かっていくしかないという無力感、絶望感、ニヒリズムに陥っている。そんな感じがします。
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あのとき取材した東宝ビルトは、若き日の市川さんらが通った円谷プロ旧本社と共に、2008年2月に閉鎖されました。ビルト跡はいま「コモレビ大蔵」という名で120戸の賃貸住宅が並んでいるそうです。
1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。