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とある飲み会にて「エスパーっぽい人はどうしてみんなああいう髪形なのか?」という話になりました。アレです、アニメやマンガで、前髪がザックリと顔にかぶさって片目が隠れるくらいになってて、後ろ髪はツンツンと流れるように後ろになびいている、あの髪形。
本欄でおなじみのアニメ評論家・藤津亮太さんによる朝日カルチャーセンター講座「アニメ映画を読む」の1月のお題が「地球へ…」(1980年公開)でして、講座の後の懇親会で、同作に登場するソルジャー・ブルーとか「超人ロック」とか最近のOVA「トワノクオン」(2011〜12年)とかが「あの髪形だ」という話になり、さらに2月から宇都宮支局に異動になった読売新聞の福田淳記者(2007年11月29日の本欄「さらば読売オタク記者仲間」に登場)の歓送会でも同じ話題になって、「スターシマック」とか「ジャスティ」とかも「仲間」じゃね? とアラフォーなネタで盛り上がったのでした。
その「超能力ヘア」について、酔っぱらった私のアタマに天啓が。
「わかった! 悠久の時を貫いて超能力者の系譜が続いているんだよ、『火の鳥』の『猿田彦』的な」
「アレは作者が同じ人だろ!」と、すかさずツッコまれてしまいましたが、いやいや、時空も作者の違いも超越するエスパー一族なんて、大河なロマンのある話じゃないですか(違う?)。
念のためですが手塚治虫のライフワーク「火の鳥」には、ハナのでかいキャラクターが連綿と登場し、この「猿田彦」一族がいわば人類代表として、試練に耐え、苦悩し、救いを求めるというドラマが展開されていくのです。
「地球へ…」は、当時未完だった竹宮恵子さんの同名マンガを原作に、実写畑の恩地日出夫監督が映画化した作品で、斬新なビジュアルに壮大なスケール、骨太なテーマを掲げた本格SFアニメです。おそらく私は中学生か高校生の頃にテレビで見たはずなのですが、ボンヤリと残っている印象は「なんだかボンヤリした映画だなあ」というもの。レンタル屋にも置いてないので講座のためにDVDを買って再見したら、展開がザックリして話が進むわりに冗長、というフシギな映画でした。何よりも「???」だったのは、主人公たちが目指す地球が「遠い」「遠い」って言ってるけどどのくらい遠いのかさっぱりわからない、ということ。
物語は、環境汚染が進んだ「地球(テラ)」を離れて人類がどこかの星に暮らしている未来で、「ミュウ」と呼ばれる超能力者たちは人類に迫害され「地の底の宇宙船の中」に身を潜めており、地球へ戻れる日を夢見ている、という設定です。巫女(みこ)っぽいキャラが「母から受け継いだ地球の記憶」というのを見せてくれるのですが、はるか銀河系からだんだんと地球に近づいていくという映像なので、「じゃあココは銀河の外なのかな」と観客は思います(思いますよね?)。で、地上で暮らすジョミー少年が「ミュウ」と認定され、ミュウたちによって地上から地底の宇宙船へ連れて来られるのですが……。
私「アレ? 地上のジョミーの友人たちはさっき、宇宙船で地球近くの教育ステーションとやらにもう着いてたじゃん。地球ってそんなに近いの?」
ジョミーは「ミュウ」のリーダーのソルジャー・ブルーに代わって彼らを率い、「地球」を目指して宇宙へ旅立ちますが、何と3年たってもたどり着けないらしく、「ナスカ」という惑星でエコっぽい暮らしを始め、「帰還派」と「定住派」が対立したりしています。そのときナスカに危機が! 「地球のパトロール隊が接近しています!」
私「エエッ? そこって地球のパトロール圏内なの? 近いじゃん!」
というわけで、ミュウたちと地球の距離がテーマの根幹なのに近いのか遠いのかサッパリ分からないという、いわばイスカンダルがどのへんにあるか分からない「宇宙戦艦ヤマト」みたい(「地球へ…」ファンの皆さんごめんなさい)。しかし、当時のスタッフは誰かツッコまなかったのかなあ……?
さて飲み会は、「決してカチューシャを取らない『トワノクオン』の主人公は、実はカチューシャを外したら超能力が使えなくなる、という設定はどうか」ってなヨタを飛ばして、藤津さんに「そういうオモシロ設定はいいから」とたしなめられたり、「あのヒトが、体にGのアザがある『真のG戦士』を集めて元上司に勝負を挑むというアストロ球団的な野球マンガはどうか。オチは(以下自粛)」とか、「球界転生」とか「小説吉田女学校」とか、まあロクでもないネタで盛り上がっているうちに、気がついたら福田さんとほとんど話をしていませんでした。
福田さん、ごめんなさい。
1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。