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2012年2月13日
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小原篤のアニマゲ丼

小林七郎、背景美術を語る

文:小原篤

写真:講演する小林七郎さん=東京・西新宿で拡大講演する小林七郎さん=東京・西新宿で

写真:背景やスケッチ、ポスター用イラストなども見せていただきました。「ガンバ」「ウテナ」「元祖」「子鹿物語」など拡大背景やスケッチ、ポスター用イラストなども見せていただきました。「ガンバ」「ウテナ」「元祖」「子鹿物語」など

写真:「ルパン三世 カリオストロの城」ブルーレイ(バップ)。城のフォルムや城壁の質感が好きです拡大「ルパン三世 カリオストロの城」ブルーレイ(バップ)。城のフォルムや城壁の質感が好きです〈「ルパン三世 カリオストロの城」を検索〉

写真:「剣風伝奇ベルセルク」のイラストを手に話す小林さん拡大「剣風伝奇ベルセルク」のイラストを手に話す小林さん

写真:劇場版「エースをねらえ!」ブルーレイ(バンダイビジュアル)。シャープなタッチの美術が劇的緊張を盛り上げます拡大劇場版「エースをねらえ!」ブルーレイ(バンダイビジュアル)。シャープなタッチの美術が劇的緊張を盛り上げます〈劇場版「エースをねらえ!」を検索〉

写真:約3時間、熱く語って下さいました拡大約3時間、熱く語って下さいました

 美術監督・小林七郎。その名が私の頭に刻まれたのは高校生の頃。「ルパン三世 カリオストロの城」「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を繰り返し見るうちに、その名に気づきました。そして「天使のたまご」を見て深々とした闇と湿り気のある空気感にしびれ、ひるがえって「元祖天才バカボン」や「ガンバの冒険」や劇場版「エースをねらえ!」「あしたのジョー2」もこの人の仕事と知って興奮し、「おそ松くん」(1988年版)では「背景までギャグしてる!」と感激し、「少女革命ウテナ」では華麗な絵づくりに酔い、「となりのトトロ」の男鹿和雄さんや「王立宇宙軍オネアミスの翼」の小倉宏昌さんらを育てた師匠だと知ってまたビックリ……とまあ書いていくとキリがないくらい、大変な業績を残した人です。

 自身のプロダクションを昨年閉じ、アニメ業界での半世紀近いキャリアに区切りをつけた小林さんが、5日に新宿で講演会を開くというので聞きに行きました。アニメ業界の若者(志望者含む)を中心とした約30人を前に、熱く熱く語ったのは「闘うこと」と「繰り返す努力」。それでは、日本アニメーター・演出協会主催「小林七郎 美術背景 講義」採録をお楽しみ下さい。

    ◇

 長いこと絵ばっかり描いてきて、もう80歳になりますが、30までは定職もないしがない絵描き志望でした。白黒アニメの時代に東映動画(現・東映アニメーション)の募集を知り、採用された。絵が描けてメシが食えるなんて、本当に幸せなことだと実感した。以来、「好き」ということをエネルギーにして、持続力と頑張りが仕事として実証されるのを喜び、その一方で自分の未熟さを感じて「もっともっと」という気持ちがわいて、延々と続けてきた。続けられたのは、そこに才能らしきものがあったからだと思う。

 その東映は2年で飛び出し、仕事はひとりじゃできないので心ならずも会社を持つことになり、そこで新人を採って育て採って育て、ずっとその繰り返し。自分の思いを反映してくれる仲間がいるのはうれしいし、自分も若手に刺激を受けて発展する。そんな四十数年だった。

 入ってきた若者には、まず私自身の信念と本音をぶつけ、価値観を押しつける。向こうも、ウンウンと聞きながらついて来なかったり、反発したり。こっちも「できました」「ハイOK」なんて簡単には済ませない。そこで出てくる問題意識を絵に結びつけ、マニュアルではなく具体的な事例を通してぶつけ合う。それを繰り返すことで、単なる能書きではない体験的なものが彼らの中に根付いて、心ならずも人を養成することになったのかな。

 でも最近は変わってきて、若者が要領よくやろうとするばかりでマニュアル主義的になった。「ボード(美術監督による、いわばお手本)がないと描けません」と言う。それじゃマネごとの世界。ゼロから何かを作り出すという、私が最もオイシイと思うところに関わろうとしない。多くの人が参加しても一定のレベルが保たれるようにと、ボードというお手本を用意するやり方が広がったんだと思うが、サンプルを基にしてはその枠から出られない。ウチでは「やってみろ」とやらせて互いにいいものを取り込む。そうして完成度を高めていった。安心と慣れごとの中でやっていたらこの仕事は退屈なだけ。そんな流れは排除すべく、闘わなければいけません。

 でも若者は闘わなくなった。陰ではコソコソやっているらしいが、仕事を挟んでガーッとやり合うことをしない。私は頑固でわがままだったから、上でも下でもスタッフ相手に口汚くののしり合うこともやった。相手が正しいと分かれば「負けたよ」。というわけで最近はそんなこともあって、トシだし、いい頃合いだと会社を閉じた。跡継ぎなんて考えられない。一代こっきり。後はみんな、それぞれの城を築いていけばいい。

 (作品ごとにスタイルが異なる、という指摘に対し)作品ごとに世界は違う。背景が一つのスタイルに固定化されたりしたらその方が不自然。土台となる描写力はかなりある方だと思っているから、後は応用力。そこは貪欲(どんよく)にいろんなものをいただいて吸収していく。スタイルには大きく三つ種類がある。メルヘン、リアリズム、ギャグ。例えばリアリズムなら、絵の具を厚く筆を激しく動かしてダイナミックにとか、メルヘンなら淡彩風でにじみの味の良さを大事にとか、ギャグならデフォルメをきかせて形やタッチを自由に誇張し飛躍させる。

 私の絵は、タテとヨコのタッチを強調している。垂直と水平、それが一番画面に力を生むと思うから。最近のはやりは、平板に均一に塗り込めてしまうが、それではナマの、人の手を動かして生み出したものではなくなってしまう。最近のデジタル技術の導入で、手がきの呼吸と実感が失われるのではと危ぶんでいる。私があえて塗り残したり、細部を描き込まずにおいたりするのは、その方が自然だから。人間がものを見ている時の印象というのは、見えているところと見えていないところがあって、本来あやふやなもの。隅から隅まで描き込んでおけば安心、というのは作り手の自信のなさの現れだ。

 どこか不安定なもの、危うくて未完成なものの方が、新鮮で生きた表現になると思う。安定した完成より、完成に向かっての進行形。崩れそうで崩れない、綱渡りのようなスリリングさに惹(ひ)かれる。これは私の趣味かな。どこかの「長寿番組」のような、安心の材料、気休めのようなものとして世間に流れるのなら、それは価値が知れてる。作品は「安心してはおれないぞ」と強くアピールするものでなくては。

 (「あしたのジョー」「ガンバの冒険」などで組んだ)出崎統監督は非常にニヒルな人で、評価を得た安定よりも、より新しいものを常に求める人だった。私たち技術者は積み上げてきたものを土台に作り上げようとするが、出崎さんはそれを壊しにかかる。グシャグシャとかきなぐったようなコンテには、決めつけずに未知の可能性を求める彼のメッセージが隠されている、と直感で感じた。彼は前衛作家であり前衛精神があった。私も絵描き志望のころの前衛精神でそれにこたえた。フィットしたんだね。(「カリ城」などで組んだ)宮崎駿監督は大変優れた人で、常識的なセンスの中で完成度を上げていき現在のような大衆的な支持を得たが、自分で全部やりたい人で、すべてを自分の枠にはめようとする。なので、ジブリからは新しい可能性は出てこない、というのが私の考えです。

 (先端に向けてキュッととがったようなフォルムが小林さんの絵の特徴では?と私が質問すると)私の絵はとげとげしいというか、シャープで荒々しくて、どうしても「ほのぼの」にはならない。北海道の貧農の家に生まれて、水も乏しいやせた土地で、石油以外はみな凍る、食用油まで凍る寒さの中で育ったから、「イヤミ」な性分になってしまった。それが絵に出てしまうんだね。

 私の絵は闘争的なんです。ついやりすぎて、ある絵が「ちょっと不気味だね」と出崎さんのひんしゅくを買ったことがあった。ソフトな味を求めてか、私ではなく男鹿さんにポスターを描かせたりしたことも。彼にはソフトな味がある。私はきわめて闘争的。戦後、東京に出てきたら焼け野原で、栄養失調の孤児がいっぱい。そんな原体験が影響していると思う。

 私の資質からしたら、絵の仕事ならアニメーターの方が向いていたかも知れない。でも若い頃は「芸術病」にとりつかれ、加えて自然の美しさにとらわれていた。人物も得意だったけど、やはり興味は最終的に風景に向かう。厳しく美しい自然にまみれて成長したことが、背景を仕事に選んだことにつながっているんじゃないか。

 (アニメ業界に求められる人材とは?と問われ)描ける人。その上にセンスがあること。描く努力を続け、それを面白いと思えるか。描いて、壁に貼って、また描いて貼る。比べる。差に気づく。「もっとこうしよう」とまた描く。それを繰り返し繰り返し続けられればそれが才能。未熟な自分、だめな自分と向き合うのはつらいけど、そこから「もっともっと」と闘っていかないと向上しない。「本気さえ出せば」とか「授業でちゃんと習えば」なんていうのは言い訳。力のある人は自分で自分を磨くことができる。才能があるかどうかは、自分に聞けばいいんです。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。

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