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2012年3月12日
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小原篤のアニマゲ丼

人を食った映画

文:小原篤

写真:映画「アリラン」から。テントやストーブのある小屋で暮らすキム・ギドク監督拡大映画「アリラン」から。テントやストーブのある小屋で暮らすキム・ギドク監督

写真:小屋の中で、干物の頭を見つめ何を思う?拡大小屋の中で、干物の頭を見つめ何を思う?

写真:これはキム・ギドク監督のかかと。映画は東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中(順次各地で)拡大これはキム・ギドク監督のかかと。映画は東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中(順次各地で)

写真:2004年8月にインタビューしたとき撮ったキム・ギドク監督拡大2004年8月にインタビューしたとき撮ったキム・ギドク監督

写真:映画「うつせみ」DVD(ハピネット・ピクチャーズ) キム・ギドク監督のマジックをお楽しみ下さい拡大映画「うつせみ」DVD(ハピネット・ピクチャーズ) キム・ギドク監督のマジックをお楽しみ下さい

 映画の撮影中、女優が首つりシーンで危うく命を落としかけるというアクシデントを起こし、精神的ショックを受け映画を撮れなくなった監督が、寒村の小屋で隠遁(いんとん)生活を送る。そして自らにカメラを向け、苦しい自問自答を撮り始めた――。

 その監督とは、世界に名をとどろかす韓国の鬼才キム・ギドク。3年ぶりの映画「アリラン」がそんな内容だと知って、さっそく見てきました。「撮れない」自分を撮ったセルフドキュメンタリーを完成させた(おまけにカンヌ映画祭に出品して「ある視点」部門最優秀作品賞を取った)ということは、どん底の苦しみから暗闇に光明の差すような復活へといたる感動が味わえるのかな? いやでもキム・ギドクだからなあ…などとアレコレ期待して見たら、これが案の定、素晴らしく面白いけどまったく一筋縄ではいかないシロモノでして。さすがキム・ギドクさんです。好きです。

 粗末な小屋の中には、まきストーブと寝床代わりのテント、そしてパソコン。出入りするのはノラネコ一匹だけ。ボサボサ頭のオッサン(キム・ギドク)がサンダルにジャージー姿で、メシをがっつき、ストーブでカボチャやクリを焼いてます。無言だった男はやがて、撮れなくなった理由をカメラに向かってグチグチ語り出します。

 「私はいま映画を撮れないから自分を撮っている。これはドキュメンタリーでありドラマでありファンタジーかも知れない」。すると、もうひとりの「怒れるキム・ギドク」が登場し、カメラに向かって自分を責め立てます。「田舎のテント暮らしは楽しいか? 酒浸りのまま映画も作らないのか? 今まで撮った15本の中にもアクシデントはあったじゃないか。お前は自分が映画で描いてきた人物と違って毅然(きぜん)とたくましく生きていない!」

 「あんたに何を言われようと答えが見つからない。命を危険にさらして映画に何の意味がある? 映画はそんなに大したものか? 確かにカンヌやベネチアやベルリンで賞ももらい、何十カ国で上映されたよ。撮りたい気持ちもあるし、世の中から忘れられたらどうしよう、とも思う」

 キム・ギドク映画の人物は寡黙な印象が強いのですが、監督本人はよくしゃべります。求道者的なイメージを抱いてたのに、意外に俗っぽいことをしゃべるのが面白いです。

 愚痴ってたギドクが泣き出すと、怒れるギドクが「バカなやつ!」と吐き捨てる。ところがそこに、2人のギドクの言い合いをパソコンのモニターで眺めている3人目のギドクが登場、愚痴るギドクが「自分が話し上手とは思わない」ともらすと、失笑して「上手だよ」とやゆします。さあ、面白くなってきました! どれがホントのギドクかな?

 「さっき泣いたのはドラマチックにするための演技かも知れない」「役者なんて、悪役でやりたいことやってオナニーするクソ野郎だ! 今のオレもそうさ」「オレにとって人生は、サディズムとマゾヒズムと自虐だ」。グチャグチャドロドロにエスカレートする自分語りの合間に、無心な顔でギドクがエスプレッソマシーン(なんでエスプレッソマシーン?)を組み立てるカットが挿入され、いれたての一杯をひとくちすすってキリッとカメラ目線。何でしょうか、「違いの分かる男だぜ」とでも言いたいのかしら?

 ハードでシリアスなシーンに、思わぬカットをはさんで緊張をふっと弛緩(しかん)させるリズムは、初期作品「魚と寝る女」(釣り針で自殺!痛い痛いヤメテ!というお話)などから見受けられますが、それがやがて「うつせみ」とか「ブレス」といった作品になると、あり得ないシチュエーションをぬけぬけと撮ってみせる人を食ったユーモアへと進化します。

 悩んで泣いて愚痴るギドクも、ふがいない自分を怒るギドクも、偽りではないと思いますが、撮ってるうちに、あるいは編集しているうちにたぶん楽しくなっちゃったんでしょうね。分身を増殖させ、自問自答を客観化し、客観視している自分まで演じてみせます。終盤は、拳銃を持ったギドクが過去にケリをつけに行く、なんて展開になり自己演出の度合いをさらに高めますが、「初めっからすべてが演出なのでは?」と観客に勘ぐらせるところすらこの映画の面白さなのです。まったく、人を食った映画です。

 でも、狂うことも悟ることもできず、らっきょうの皮のように終わりのない自己演出を続けるというのもまた、業の深い話なのかもしれません。

 2001年に「魚と寝る女」を見て、「ポルノ出身の監督がATGで安部公房したみたいな映画!」と感激し、取材でようやくお会いできたのは「春夏秋冬そして春」公開を控えた04年8月でした。すさみきった人物が救いのない性と暴力にまみれるそれまでの作風から一変、悟りきったような静謐(せいひつ)さと「東洋の美」に満ちた映画だったので、その点をきいてみるとこんな答えが返ってきました。

 「表面は静かでも、内に秘めたものは激しい。自分の人生を振り返り、これからどう生きるか整理したくてこの作品を作った。私は悔いの多い人生を送ってきた。これからは、少しでも罪を犯すことなく過ごしていきたい」

 「いったい過去にどんな罪を」とは、その時の口調が静かながらとてもシリアスだったので、怖くて聞けませんでした。こんなことがあったので「撮影中の事故がショックでひきこもった」という「アリラン」の導入に「ほんとかな」と思ったりもしたのです。

 この取材の直後、ベネチア映画祭に出張に行ったら、コンペティションにサプライズ作品として「うつせみ」が参加。空き家に忍び込むのを常習とする青年がイヤな夫から人妻を救い出す驚異の人体消失トリック(!)にアゼンとして大笑いしました。上映の翌日か翌々日、記者会見場があるホテルのロビーで私が一休みしているとキム・ギドクさんが入ってきました。「おおカントクだ!」と眺めていたら、つかつかと歩み寄ってきて「東京でお会いした記者の方ですね。あの時はありがとう」と英語で話しかけてきたのでビックリ、ドギマギしつつ「新作を見ました。とても面白かったです!」なんて答えました。

 世界的な監督なんだから記者なんか山ほど会うだろうになあ、怖い人なんだかいい人なんだか分からないなあ……などと思いながら、背中を見送りました。

 というわけで、怖そうだけど本当はいい人(?)キム・ギドク監督による、人を食った映画「アリラン」、客の入りは少々苦戦のようですがこんな楽しい映画を見逃すのはもったいないので、ぜひご覧下さい。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。

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