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2012年5月28日
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小原篤のアニマゲ丼

とある映画の連敗記録

文:小原篤

写真:DVD「河童のクゥと夏休み」(アニプレックス)拡大DVD「河童のクゥと夏休み」(アニプレックス)

写真:「クゥ」公開時にインタビューした原恵一監督=2007年撮影拡大「クゥ」公開時にインタビューした原恵一監督=2007年撮影

写真:DVD「カラフル」(アニプレックス)。これも原恵一監督作品。原作は森絵都さんの小説です拡大DVD「カラフル」(アニプレックス)。これも原恵一監督作品。原作は森絵都さんの小説です

写真:DVD「マイマイ新子と千年の魔法」(エイベックス)。原作は高樹のぶ子さんの小説です拡大DVD「マイマイ新子と千年の魔法」(エイベックス)。原作は高樹のぶ子さんの小説です

 オリジナルアニメ映画をヒットさせるのは難しいようです。というのも、前々回の本欄で紹介した「虹色ほたる」が興行的にとっても苦戦していると聞いたから。4月に公開された「ももへの手紙」も大量宣伝を打ち(本欄で三度も取り上げ)ましたが目標には届かず、昨年5月公開の「星を追う子ども」も興行成績は芳しくなかったと聞くし、思い返せば2010年の「カラフル」も、09年の「マイマイ新子と千年の魔法」も、07年の「河童のクゥと夏休み」も苦しい戦いでした。

 やっぱり知名度とか基礎票のないオリジナルの興行は難しいんですかねえ。あ、ここで言う「オリジナル」とは、テレビシリーズの映画化とか、人気マンガが原作とか、そんな「土台」や「後ろ盾」を持たない作品を指していますので、小説や児童文学が原作のものも「オリジナル」に含めています。文字だけが土台だと、映像化に当たって作り手の自由度が高く(ライトノベルはちょっと別かな)、その原作を選んだ作り手が自らのテーマや思い入れを込めたりして、オリジナル色が強まる傾向を感じるからですが、もちろん例外もあります。

 上に書き連ねた作品名を見て気づくのは、どれも子どもを主人公にしてファンタジーを交えてその成長を描いたマジメな作品だということ(少々脱線気味のものもありますが)。「いま子どもたちにこの映画を見せたい」という気概にあふれ、その志を買って応援したい気持ちが強かった分、興行不振が無念に思えて私の記憶に残っているのでしょう。

 くしくも、本欄でおなじみアニメ評論家・藤津亮太さんの朝日カルチャーセンター講座「アニメ映画を読む」の5月のお題が「河童のクゥと夏休み」でした。公開時は「長すぎる!」(138分)と思いましたが、見返してみると、この長さがないと出てこない味わいがあるのだと感じました。いわば「スロー映画」とでも言えばいいんでしょうか。DVD版は141分もあるのですが、一度見た後「このたっぷりとした語り口にもう一度ひたりたい」と後半からまた再生してしまいました。絵コンテ段階では約3時間あったというこの長さも味も、この作品独特の作劇法がもたらしていると思いますので、今回はそのお話を。

 「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」などの原恵一監督(脚本も)が木暮正夫さんの児童文学を原作に作り上げたのは、江戸時代から現代によみがえった河童の子クゥが康一少年の一家と暮らすという藤子不二雄的な骨格を持つ物語。初めは戸惑い気味悪がっていた家族とクゥが徐々に打ち解け、クゥが康一と遠野へ河童捜しの旅に行き仲間はもうこの世にいないと知り、世間にクゥの存在が知られ康一は友だちから仲間外れにされ(クゥを「独り占め」してたので)、テレビに生出演したクゥがパニックになって街に飛び出すとケータイのカメラを向けた人々に追い回され、この現代では生きられないと絶望して東京タワーに登ると竜が現れクゥはその姿に希望を感じ、康一同様いじめられている同級生の紗代子を守るため康一がいじめっ子をクゥから教わった相撲で撃退し、クゥが「人ならぬ者」から来た誘いの手紙を読んで移住を決意し、やはり引っ越しするという紗代子の見送りをうけてクゥ(が入った段ボール箱)を康一が宅配便に出し、沖縄でキジムナーと暮らすことになったクゥがいつか康一に会いに行くことを誓い、長い長いお話は終わり。ふぅ。

 出会いと別れ、いじめ、初恋、夏の冒険、成長、家族、エコロジー、メディアの狂騒、大衆の残酷さと、テーマてんこ盛りです。インタビューした原監督には「全部入りですね」と言いました。では、日常を丁寧に描きたいし訴えたいこともたくさんあるからエピソードを数多く盛ったので、結果として長くなったかというと、ちょっと違うのです。

 こんな題材とテーマで、もしも「普通」の映画を作るとしたら、最もシンプルかつ直線的な構成はこんなところでしょう。いじめられていた主人公が河童を見つけて友だちになり、たった独りでも前向きに生きようとする河童の姿に勇気づけられ、遠野に河童捜しの旅に来て人々に追い回されるが主人公は河童を必死で守り、河童の先祖の「お告げ」で河童の生きられる地を知り、東京タワーのてっぺんに昇って運び役の竜にクゥを引き渡し、出会いと別れを通じて成長した主人公がいじめを克服しEND。河童を一緒に見つけた少女に協力者になってもらえば「初恋」要素もバッチリ。

 どうです? 冒険もスペクタクルも感動もあって1時間半くらいにおさまりそうです。でも、こんな風に枠や型にはめてわかりやすさと面白さを導き出す作為を原監督は拒否し、単純な因果の糸で人物や出来事を結びつけず、網の目のような相互作用を張り巡らせて「まどろっこしい」ドラマを組み立てます。

 まず初めに康一は紗代子のいじめに加担し、クゥが原因となっていじめ(無視)が自分に及びますが、康一を勇気づけるのはクゥでなく、いじめに耐えてきた紗代子です。とは言っても、学校のプールで康一に話しかけるという程度のことですが。康一の家族やクゥはいじめのことを知らずノータッチ。オッサンという名の飼い犬も、前の飼い主の少年がいじめを受け、憂さ晴らしにオッサンをいじめたため、逃げ出して康一に拾われたという過去を持ちながら、康一のいじめにはノータッチ。テレビ局でクゥがパニックになった時、康一ら家族はテレビ出演に浮かれてボーッとして役に立たず、オッサンが体を張ってクゥを助けます。その直後にオッサンは車にはねられ息絶えますが、いまわの際に思うのはクゥでも康一でもなく前の飼い主のこと。

 東京タワー上空に出現した竜は、「父ちゃん助けてくれ!」という叫びに応えて来てくれた、という希望をクゥに与えますが、雨を降らした以外に何かをしてくれるわけでなし。クゥに行くべき場所を教え、別れを促すのは、唐突に来た「こっちこい」というはがき1枚です。キジムナーが手紙を出したのは、クゥをテレビで見たのがきっかけでした。

 いじめっ子を撃退することになった相撲の技は、単に家族の間の遊びとしてクゥが伝授したもので、康一がそれを使ったのは、男の子たちが紗代子をからかうのをやめさせるため。いじめっ子たちは改心も和解もせず去っていき、紗代子は目を潤ませて礼を言ったりはせず、気まずい空気の中「ケンカなんてしない方がいいよ」とポツリ(そのあと引っ越すことになったと告げて泣きますけど)。康一と別れのあいさつを交わす駅では「私もクゥちゃんみたいに新しい場所に飛び込んでみる」と言います。

 いろんな関係が、思いが、言動が、少しずつズレていたり、プラスとマイナスの作用を起こしたりして、でも回り回って全体は結びついています。複雑な相互作用でつながり機能している総体。何だか「生態系」のようです。私が例として挙げたシンプルかつ直線的な構成が、ある動物とある動物の関係を「弱肉強食」のように単純化して表現したものだとすれば、原監督は、まどろっこしくても長くなってもあえて巨視的に人間関係の生態系を描ききろうとしたのではないでしょうか(わずか2時間ちょっとで)。

 家族の最後の食事シーンで、康一の妹がクゥに尋ねる「今度いつ来るの?」という言葉が涙を誘うのは、初めはクゥを嫌い徐々に仲良くなっていった描写をねちっこく重ねたからこそ。康一が紗代子にクゥを引き合わせる場面で、ハッキリと気持ちや意思を示す2人の成長にリアルな手応えを感じるのも、じわじわ距離を縮めてきた2人を丹念に描いてきたから。そしてクゥの「ずっと前から決まってたに違いねえよ、俺とおめえたちが会うってことは」という言葉が、様々な要素を抱えた物語全体をぐいっと束ねるリボンとなって、ドラマに静かなうねりを生みます。劇的でもなく感動をかき立てるものでもなく、じわっとせり上がって長い余韻を残すこのうねりが、この映画の味わいです。

 というわけで映画に負けず劣らず長々と書いてしまいましたが、こんな冒険ができるのもオリジナルならでは。(興行が)苦しくったって(成績が)悲しくったって、その灯(ひ)が絶えることがないよう、微力ながらこれからも応援しようと思います。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2012年4月から名古屋報道センター文化グループ担当部長。※ツイッターでもつぶやいています。

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