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2012年6月25日
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小原篤のアニマゲ丼

「日本一客が入らない寄席」

文:小原篤

写真:「古今亭志ん朝 大須演芸場 CDブック」(河出書房新社)チラシ拡大「古今亭志ん朝 大須演芸場 CDブック」(河出書房新社)チラシ〈この商品を楽天で検索する〉

写真:志ん朝の思い出を語る大須演芸場席亭の足立秀夫さん。手前は1999年の独演会のパンフレット拡大志ん朝の思い出を語る大須演芸場席亭の足立秀夫さん。手前は1999年の独演会のパンフレット

写真:99年の独演会で語る志ん朝拡大99年の独演会で語る志ん朝

写真:99年の独演会で満員になった大須演芸場拡大99年の独演会で満員になった大須演芸場

写真:大須演芸場のロビーには今も、古今亭志ん生(左)と志ん朝父子の写真が飾ってある拡大大須演芸場のロビーには今も、古今亭志ん生(左)と志ん朝父子の写真が飾ってある

 アニメやマンガほどじゃありませんが、子どもの頃から落語が好き。小学4年のとき図書館で子ども向け落語全集を読んだのがきっかけで、図書館から落語のレコードを借り出してはカセットテープにダビングし、などということを続けておりました。大学の文芸サークルで使っていたペンネームは「仲蔵」。歌舞伎役者の名前ですが、円生の落語「中村仲蔵」がお気に入りだったからです。

 好きだったのはその円生を筆頭に、小さん、金馬、志ん生、米朝……、60本ほどにたまったテープは、母や義父が入院した時「暇つぶしにちょうどいい」と重宝されました。自分でコラムを書く時や、人にコラムを頼む時、何とかオチをつけたがるのは、どうもこの落語好きから来ているようです。

 さて、アニメやマンガだけでなく落語もたまには仕事になります。ただいま単身赴任中の名古屋には「日本一客が入らない」と異名をとる大須演芸場という寄席がありまして、ある取材の折に入ったら客が4人しかおらず、ユルいような気まずいような、入るのも出るのも少々思い切りが要るような、独特の雰囲気を味わいました。

 その大須演芸場を連日満員札止めにした「伝説の高座」がよみがえる!――との触れ込みで「古今亭志ん朝 大須演芸場 CDブック」が河出書房新社から6月に発売されました。2001年に63歳で急逝した志ん朝が、不入り続きの演芸場のために一肌脱ごうと、円熟期の1990年代に毎年開いていた独演会59席の録音を初めてCD化した、というもの。テープを保管していた席亭の足立秀夫さんに、独演会当時の思い出を語ってもらい記事(6月16日名古屋本社版夕刊)にしました。そのお話が、高座でやってる落語よりずっと――なんてことはないけど落語に負けないくらい面白かったので、紙面に収まりきれなかった部分も復活させ本欄で再録させていただきます。アニメやマンガの話じゃありませんが、たまにはこういうネタもお許しくださいませ。

    ◇

 平成2(1990)年の5月だったかな、一人のおばさんが来て「名古屋市文化事業団から参りました。市民芸術祭というのをやるから、おたくも参加して落語名人会でもやってくれませんか」と言ったんだわ。

 名人会ったって、有名なの呼んだら(ギャラが)高いし、しんどいなと思ったら、市から金が出ると言う。だったら何とかなるかと「東なら志ん朝、西なら米朝を呼ぼうか」と言ったら、おばさん目丸くして「そんな偉い人が、こんなところへ来てくれるんですか」とこきやがった。よう聞いててよ、「そんな偉い人が、こんなところへ来てくれるんですか」だよ。

 「総理大臣や天皇陛下を呼ぼうってわけじゃない。落語やる人が落語やる小屋に来るのは当たり前だから、呼べますよ」。おばさん舞い上がって帰ってった。

 志ん朝とは若い頃からの付き合いがあるから、呼べば来てくれるのは分かっとる。でも万が一、天下の志ん朝を呼んで客が5人か10人しか来なかったら恥をかかせることになる。うっかり呼ぶと言ったが弱ったなぁ、と思いつつ朝さんとこ電話したら「いいよ足立ぁん、いつ?」。

 「来てくれるのはありがたいけど、実はアレの方が…」と言ったら(ギャラのことだと察して)「いいんだよ、わかってるよ」。ただ、独演会といっても前座や芸人を一緒に連れてくるから、そういう人たちには「ほんのちょっとでいいから、普段より色をつけてくれ」と言われたね。

 それで11月にやることになり「古今亭志ん朝独演会 前売り発売中」と看板出したが、1枚も売れんのや。口の悪いやつが看板指して「当日になると『朝』が別の字になるんだろ?」。昔はそういうインチキな興行のやり方があったんだな。私も「美空いばり」や「美空ひはり」ちゅうのを見たことある。

 さーて、こんなことで志ん朝に恥かかせたらえらいことになる。仲のいい新聞記者に相談したら、東京へ取材に行って記事にしてくれた。それが載っとる夕刊がウチに届く1時間くらい前から電話が鳴り出して、3日分がアッという間に売り切れ。その第1回独演会が好評で、結局10年続いた。いい時代だったな。お客さんが入って来る時な、みんな目そらして俺のカオ見いへん。ふだん来んといてこういう時だけ来るから、ええとこだけ食ってるようで申し訳ないんだろうな。

 そんな風でお客がいっぱい来るから、ぼく自身が聞くヒマがない。「悪いけど朝さん、あんたの話、音だけとらせてな。寝る時に聴かせてもらうから」と言って、カセットテープに録音した。商売にしようとか後世に残そうとか、そんな気はなかった。「秘蔵」じゃないけど「秘蔵」になっちゃって、それがこんな風にCDになるとはね。おれがくたばったら一緒に棺おけに入れてもらおうと思っとったんだけど。

 知り合ったころは志ん朝が34、5歳だったな。不動産業をしていた大阪で芸人を連れて遊び歩いていて、志ん朝とも一緒にいろいろ遊びはしたけど、芸の話はしなかった。最初に会ったとき、おやじの志ん生の話をしたんだ。あんたのおとっつぁんはチャランポランだけど芸の方はああだこうだと。そしたら志ん朝が「あんたと付き合うのイヤだ」「なんで?」「だって、おやじのことばっかり言うんだもん」「じゃあ一切言わんから」。

 それからは芸に関することは言わなんだ。でも天にも地にも1回だけ、名古屋の中日劇場だったかな、落語会の楽屋を訪ねて、出番を待つ志ん朝と寝っ転がっておしゃべりしてたら「足立ぁん、落語っていうのは、やっぱり笑わせなきゃいかんかねぇ?」と聞いてきた。

 ちょうど枝雀が先に上がって爆笑をとっていた。クサい芸でな。ワーッと沸かせた後はやりにくいもんなんだろう。それで「そりゃあ、笑わせるのも聴かせるのも、いろいろある。あんたなんか特に粋な芸を持っとるわけだから、何も笑わせなきゃいかんということはない」と答えた。

 本当に粋で、気品があった。芸人ちゅうのはどんな偉いやつでもどっかいやらしさ、いやしさみたいなのがあるもんだ。でも志ん朝だけは、爪のアカほどもなかったね。

    ◇

 インタビューが終わった後、足立さんから1999年の最後の独演会のパンフレットをいただいたので開いてみると――。

 「おやここに、足立さんの夢は自分の弔いで志ん朝さんに『小言幸兵衛』を手向けてもらうこと、と書いてありますね」

 「おうよ! あいつぁ、約束を破りやがって……」

 と言って黙り込み、ちょっとシンミリした雰囲気に。

 はてさて、落語をネタにしたコラムにオチがないのは締まりませんが、それは志ん朝師匠の鮮やかなサゲにお任せして、今回はこれにてオシマイ。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2012年4月から名古屋報道センター文化グループ担当部長。※ツイッターでもつぶやいています。

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