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2012年8月27日
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小原篤のアニマゲ丼

母、かくあれかし

文:小原篤

写真:放送終了直後の藤津亮太さん(右)と私。前半のニュースコーナーを担当した「アニメ!アニメ!」数土直志編集長に撮ってもらいました拡大放送終了直後の藤津亮太さん(右)と私。前半のニュースコーナーを担当した「アニメ!アニメ!」数土直志編集長に撮ってもらいました

写真:映画「グスコーブドリの伝記」のブドリ(右)と妹ネリ (C)2012「グスコーブドリの伝記」製作委員会/ますむら・ひろし拡大映画「グスコーブドリの伝記」のブドリ(右)と妹ネリ (C)2012「グスコーブドリの伝記」製作委員会/ますむら・ひろし

写真:ネリは謎の男コトリにさらわれてしまう拡大ネリは謎の男コトリにさらわれてしまう

写真:「おおかみこどもの雨と雪」の主人公の「花」拡大「おおかみこどもの雨と雪」の主人公の「花」

写真:田舎の古民家で花と雪と雨の暮らしが始まる拡大田舎の古民家で花と雪と雨の暮らしが始まる

 先日、ニコニコチャンネルに出演しました。アニメ評論家・藤津亮太さんが「藤津亮太のアニメの門生放送!」という番組を始めることになり、そのプレ放送である「第0回」にゲストとして呼ばれたのです。

 番組に出てしゃべるというのは、10年も前に朝日ニュースターで「ベルリン映画祭取材報告」なんぞをさせられて以来ですが、今回の私のミッションは今夏公開のアニメ映画、特に本欄で取り上げた「グスコーブドリの伝記」と「おおかみこどもの雨と雪」について藤津さんと語り合うというもの。オーダーは「評論を、まじめに、そして争論らしく」。確かに、私のアニマゲ丼と藤津さんのコラム「帰ってきたアニメの門」を読み比べると、アレコレ見方が違います。

 というわけで8月の熱帯夜、池袋の小さなビルの、パーテーションの向こうにサーバーがウン十台も並んでてエアコンが全く効かない一室にて、熱いナマ論戦がスタート!

 「ブドリ」で問題になったのは当然あのラスト。火山を噴火させて冷害を防ごうと、主人公ブドリが怪人コトリの起こしたつむじ風に乗って空から火山島に近づくと、突然ピカーンと光の粒が画面いっぱいにハジけエンディングソングがスタートする、その不可思議な描写については本欄「ブドリはどうして死んだのか?」で考察しました。

 藤津さんはこれを「奇跡」の表現と見ます。藤津さんの考えでは、「奇跡」とは説明不可能・理解不能なものであり、ラストを「奇跡」とする、つまり、ブドリの行動と結果をつなぐ理屈を排除することで、この映画はブドリを「自己犠牲の英雄」に仕立てないようにしたのだ、と。藤津さんは似たラストの例として「謎の光」で世界が救われる「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」を挙げました。

 これに私は反論しました。「これは奇跡だ、と観客に納得してもらうにはそれなりの説明が必要。『逆シャア』も何が起きたか説明を避けているわけではなく、『サイコフレームの共振』についての言及や、シャアのセリフ『むしろあたたかくて安心を感じる』などで説明をしようとしているが、それが足りなかった」(映画を見てない人には分かりにくくてスミマセン)

 例えとして『逆シャア』に対抗して私が挙げたのは「風の谷のナウシカ」。

 「王蟲の大群がナウシカと王蟲の子に迫る! その瞬間、ピカーンと金色の光が画面いっぱいに弾けてエンディングテーマがスタートし、粛々と帰っていく王蟲の映像が流れる。『ブドリ』のラストを『ナウシカ』にあてはめるとこうなる。当然、観客は『えっ?!』となるでしょう。で、実際の『ナウシカ』はこの後どうしたかというと、大ババさまの『何といういたわりと友愛じゃ 王蟲が心を開いておる』というセリフで説明し、『古き言い伝えはまことであった』という『伝説の成就』というワザまで出して念押ししてる

 藤津さん「僕はあれ、語りすぎだっていつも思うんだけど」

 私「あのくらいしないと『奇跡』が『奇跡』として着地しない」

 藤津さん「着地したら『奇跡』じゃないじゃん、って思う」

 私「それは違う。藤津さんは、奇跡とは論理の断絶だと思ってるけど、私は論理の飛躍だと思う。つまり科学や合理の世界から神話や伝説に論理がすり替わる。だから、こっからは神話や伝説の世界なんですよ、って念押ししないと」

 藤津さん「映画ってウソだから、そんな地続きに行かないでポンと飛んでくれた方がいい」

 私「でも『ブドリ』のアレじゃ、観客はノレないんじゃない? キョトンとしちゃって『イイハナシダナー』とかにはならない」

 藤津さん「そこを補強してるのが、小田和正の歌なのかなと思う」

 なんて論議で、暑いビルの一室が白熱してた頃、どうもニコニコのコメントには「ブドリ見てねえ」といった声が流れていたそうで(私たちはモニターを見ないでしゃべってました)そうねえ、あの映画もっと当たってくれたらよかったんですけどねえ。

 続いて話題にした「おおかみこどもの雨と雪」は、藤津さんが「とても洗練された演出で美的価値は高いけれど、作り手の意図をつかみかねるところがある」。私は「リアリズムから考えると少々無理を感じなくもないが、子育てのうれしさとさびしさが綿々とつづられていて、子を持つ親として心をわしづかみにされた」。

 本欄「細田守的『これが女の生きる道』」でもご紹介した通り、この作品は「おおかみおとこ」と結ばれ2人の子「雪」と「雨」をもうけた主人公「花」が、「おおかみおとこ」の突然の死の後、田舎に引っ越して独力で子どもを育て上げる物語。実は、藤津さんと私はともに同学年の息子がいて(映画ラストの「雨」と同じ10歳)、しかも同じスーパーマーケットを使っているくらいご近所。なのでその「おおかみ」評は、個人的にもとっても気になるところなのでした。

 「おおかみおとこ」の残した貯金だけで3人が数年間暮らしたとか、「花」が廃屋同然の古民家をそこに住みながら独りで修繕してしまったとか、そのあたりのことが気になった観客も多いでしょう。それこそ「映画はウソ」ですから、「理想の母」を描いたものとして少々のことには目をつぶってもいいと思いますが、藤津さんが引っかかって困惑したのは、触れなくていいのに劇中であえて触れたにもかかわらずフォローしないところ。

 例えば、3人が暮らすアパートに児童相談所の人が来て『予防接種してませんね』と言わせながら、その後のフォローがない(医者にはまったくかからないの? 田舎に引っ越したって検診が必要な場面は出てくるよ?)。「花」が就職した自然観察員補佐の賃金について、わざわざ高校生のバイト代より安いとセリフで言わせ、「それで生活できるの?」と観客に心配させておきながらやっぱりフォローなし。

 藤津さん「触れずに済ませばいいのになぜ?と気になるんだけど、小原さんは目をつぶれた?」

 私「そうなんですよねえ。私はアニマゲ丼のあの原稿を自信を持って書いたけれど、もし自分が子育て中でなかったらどう見えたかと思うと、自分の見方が中立というか客観的と言えるのかどうか…」

 そのほかにも「子育て以外に人生がないような、花の生き方はどうなのか?」とか「長いスパンで巣立ちまでの子育てを描ききった作品というと、ほかには『赤毛のアン』くらいしかないのでは」などなどいろいろ議論をしましたが、「この映画は10年とか20年たって、子育てが忘却のかなたになったときどう見えるか確かめないとね」というところで一致したのでした。

 その翌日、私がもっとも感想を知りたい女性と「おおかみこどもの雨と雪」を見に行きました。子育て中の母であり、その人生の分岐と選択にことごとく私が介在/介入してきた、カミさんです。見終わってニッコリ「ん〜、よかったぁ!」。そして、こんな感想を聞かせてくれました。

 「子育てほどいいものはないし、細かいことはいいじゃない。『かくあれかし』」

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2012年4月から名古屋報道センター文化グループ担当部長。※ツイッターでもつぶやいています。

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