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ハガネの女(深谷かほる)

2008年9月12日

  • 筆者 松尾慈子

表紙ハガネの女[作]深谷かほる

 思い返せば、大学以外はすべて公立校で学んだ私だが、地方ではそれが主流だからそうしたのであって、特に公教育を信頼しているから、というわけではなかった。小学校こそふつうだったが、中学校は県内屈指の荒廃校で、毎日のように火災報知器が鳴り響き消火器の粉が舞っている状態だった。さすがに高校は落ち着いているかと思ったら、授業中に他校の生徒が殴り込みをかけにきた。ゆえに公立校に対して、私はどちらかというと失望を感じている。もちろん教師になろうなどとは考えたこともない。大学時代、教師になりたいと言っている友人をみると、「荒れた学校に当たったことがなかったんだねえ」としか思えなかった。だから、この物語の主人公にはただ頭が下がる。公立小学校で4年生を担当する熱血女教師である。本誌の「コミックガイド」にすでに取り上げられた作品ではあるが、ぜひ紹介させていただきたい。

 芳賀稲子、通称「ハガネ」、35歳独身。小学校教員10年のキャリアがあり、現在は請われて、少々問題がある4年生クラスの担任として臨時教員になっている。このクラスでは担任が3人続けて退職しているが、その理由がわからない。深刻ないじめはないようだし、特に大きな問題があるようには見えないのになぜ教師が辞めるのか。子ども同士の関係もみえず、保護者の協力も得られない。実態がわからないまま必死に真相究明に当たるハガネが、少しずつ闇に光をあてていく様子は、まるで謎に包まれたミステリーを読み解くようなおもしろみがある。物語の終盤、ややあわただしすぎる感はあるが、一気に謎が解き明かされるのは爽快である。

 帯には「モンスターペアレント・モンスターキッズvs女教師」とあるが、本書の中にモンスターという表現はない。ハガネはモンスターという言葉で、親や子供を切り捨てることをしない。ハガネの行動を「教育委員会に訴える」と責め立てていたある少年の母がいた。後になって真相がわかり、ハガネが頭を下げると、その母はこう泣くのである。「私にはこの子しかいないんです だからちょっとでも悪くみられると私は人に切りつけてしまうの」。この母は家族の中で孤立しながら必死に息子を育ててきた。それだからこそ攻撃的になるのであって、最初からこの母に「モンスター」のレッテルを貼って無視していれば、きっとこの心の裏側は見えなかっただろう。人をきちんと人として扱うことの大切さをこの作品は教えてくれる。

 いじめられ疑惑のある子の家を訪問して洗濯や掃除を教え、学級便り作り、テスト作り、ほかの保護者への対応。ハガネは休日もつぶして粉骨砕身に子供と向き合う。漫画の主人公でなければ、早晩「燃え尽き症候群」になってしまうだろう。もし本当の教育現場もこうした教員個人の熱意だけで支えられているのだとしたら、心の病で休職する教員が多いのもうなずける。労働者の当然の権利として、休みを取れる環境を、働きに応じた待遇を、と心から願う。

 掲載誌はレディース誌「YOU」で、作者の深谷かほるはデビュー約20年の大ベテラン。基本的に少女向けの漫画が好きな私だが、やはり大人向けの漫画は物語に厚みがあるなあ、としみじみ思わされた。2巻で少々失速した感はあるが、パワフルなハガネの活躍を今後も期待したくなる漫画である。

プロフィール

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松尾 慈子(まつお・しげこ)

1992年朝日新聞入社。金沢、奈良支局、整理部、学芸部などを経て、現在、名古屋本社報道センター記者。漫画好き歴は四半世紀超。一番の好物は「80年代風の少女漫画」、漫画にかける金は年100万円に達しそうな勢いの漫画オタク。

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