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虫と歌(市川春子)

2010年1月8日

  • 筆者 松尾慈子

写真虫と歌[作]市川春子

 みなさま、あけましておめでとうございます。本年もこんなシュミ全開のコラムをどうぞよろしくお願い致します。

 本年最初にご紹介したいのは、これが初めての作品集だという市川春子。私は予備知識なく本屋でたまたま手にしたのだが、もうすでに話題の作品だったのね。生命の不思議を軽やかに描いた秀作であった。

 4つの短編を集めてあるが、私は不思議な兄妹の愛情を描いた「星の恋人」が一番気に入った。主人公の中学生・さつきが、これから居候をする叔父の家を訪ねると、そこには小さな女の子がいた。彼女は4歳のころに間違ってさつきが切り落とした指から生まれたのだという。さつきとその彼女・つつじは、叔父が開発した人型の植物だったのだ。さつきはやがてつつじに兄妹愛以上の感情を抱くようになる。

 「君とまた一緒になりたいから 兄の役はできないよ」。静かに満ちてきた愛情をこう表現したさつき。困惑したつつじはこう叔父に告げる。「私 朝はパパの母親で 昼は娘で 夜は恋人で 毎日心配で幸福で忙しくて 彼の体が懐かしいなんて感じるヒマないの」。普通の言葉をつなげただけなのに、なぜか不思議と胸にしみてくる。

 同時収録の「日下兄妹」もまたせりふがいい。野球部のエースだったが肩を壊した雪輝(ゆきてる)は、得体の知れないまるで提灯のような生き物となぜか共同生活をするはめになる。その生き物を「ヒナ」と名付けて成長を見守る雪輝。父親を知らず母の記憶もなく、チームメートにも心を閉ざした雪輝が、ヒナに心を許してゆく様子と、最後に心境を吐露する部分には泣かされる。周囲の大人に見捨てられないようにと必死に指導に従ってきた雪輝。「次は間違えない 全部捨てて ひとりきりではじめから」。投手として期待された雪輝にとって、肩を壊したことは自由を意味するのだった。簡潔なせりふだが、これもまた胸を打つ。トーンを多用しない明暗のはっきりとした画面が、詩的な雰囲気を増大させている。優しげな絵柄にまどわされそうだが、実は残酷なテーマが刻み込まれているところもまた深い。

 06年デビューで、年1回のペースで作品を発表してきたらしい。私は装丁の美しさにひかれて、本屋でジャケ買いしたが、その装丁も市川本人が手がけたのだという。久々に次回作が楽しみな作家を発掘できた喜びを感じている。

プロフィール

写真

松尾 慈子(まつお・しげこ)

1992年朝日新聞入社。金沢、奈良支局、整理部、学芸部などを経て、現在、名古屋本社報道センター記者。漫画好き歴は四半世紀超。一番の好物は「80年代風の少女漫画」、漫画にかける金は年100万円に達しそうな勢いの漫画オタク。

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