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大切な人がいるすべての人に さよならもいわずに(上野顕太郎)

2011年2月18日

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表紙:さよならもいわずに [作]上野顕太郎(エンターブレイン)さよならもいわずに [作]上野顕太郎(エンターブレイン)「さよならもいわずに」を楽天で検索

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 「このマンガがすごい!2011 オトコ編」(宝島社)で3位の本書だから、もうご存じの方も多いであろう。ギャグ漫画家の上野顕太郎が94年12月、突然の病で妻を失う。本書は妻との最後の日々とその後の1年間をつづったドキュメント漫画だ。青年漫画にうとい私はこのランキングで初めてこの作者を知ったのだが、重厚な物語にただただ圧倒された。久々に漫画で涙し、それからは花粉症と相まって読み返すたびにティッシュを大量に消費している。「大切な人を失ったすべての人に。そして大切な人がいるすべての人に。」と上野の献辞がある。大切な人がいるかも分からない人にもぜひ読んでもらいたい。きっといま自分が生きていることに感謝し、そばにいる人が愛(いと)おしく思えるに違いない。

 上野の家庭は妻のキホと娘で小学4年生カリンの3人家族。キホはぜんそくとうつ病を患っているものの、幸せな家庭だった。しかし平穏な日常はキホの急死で引き裂かれてしまう。葬儀までは事務的にこなす上野だったが、心は張り裂ける思いでいた。いつもの道で通り過ぎる人を見つつ、上野は心で絶叫する。「何故キホが? 何故あなたではなく・・・」

 悲しみの表現は実験的だ。上野が妻を失った体験を漫画にしたいと担当編集者に話す場面。ふたりのセリフはよどみなく流れていく。それなのに、原稿にインクを落としたようにセリフは遮られ、最後のコマでは、上野の姿は胸にぽっかりと穴が開き、ただの穴となった目からは黒い涙が流れている。表面上は冷静さを保ちながらも、深い虚無感にとらわれている上野の心情が、読む者にひしひしと伝わってくる。

 これほどまでに別離の悲しみだけに焦点を絞って描いた漫画があっただろうか。内容の重厚さはさておき、これを雑誌に連載し、コミックスにまでした編集部の英断にも頭が下がる。掲載誌は「コミックビーム」。

 しかし私はたまたま、本書と同時期に、「電車に飛び込み自殺すると、遺族は損害賠償を請求されるのか」など自殺を巡る金銭問題を書いた「自殺のコスト」(雨宮処凛)を読んでいたので、やりきれない思いにとらわれた。こんなにも夫に愛され、生きることを望まれている女性が病死する一方で、国内では年間3万人が自殺で命を絶ち、おそらくはその数倍の人が自殺未遂をしている。この不条理な現実。

 まあ、現実はいつも理不尽なものではあるが、やるせない。防げる死には防ぐ手だてを、と遠く思いをはせるのである。

プロフィール

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松尾 慈子(まつお・しげこ)

1992年朝日新聞入社。金沢、奈良支局、整理部、学芸部などを経て、現在、名古屋本社報道センター記者。漫画好き歴は四半世紀超。一番の好物は「80年代風の少女漫画」、漫画にかける金は年100万円に達しそうな勢いの漫画オタク。

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