2010年3月17日
サウンドホライズンによる「第二次領土拡大遠征」ライブから
前回、「争いの系譜」という曲に触れましたが、これは「聖戦のイベリア」という、イベリア半島の歴史を題材としたマキシCDの収録曲です。歴史を紐解(ひもと)けば、今日に至るまで神の名の下に多くの血が流されてきました。人は歴史に何を学ぶべきなのでしょうか? そのようなテーマ性を持った作品です。
余談ではありますが、今日の多くの日本人にとって「神」とは何でしょう? 残念ながら自己を律する絶対的な存在ではないのかも知れません。代わりに「世間体」というのが、ある意味で神と言えるのでしょうか。「皆持ってるから、自分も」「皆やってるから、自分も」、そういった感覚がひとつの規範となっていることは否定出来ません……。
皆様は火災の現場に遭遇したことがあるでしょうか? 凄(すご)い人だかりの中、多くの野次馬(やじうま)たちが懸命に写メっている姿を見たことがあります。うすら寒くなる光景でした。哀(かな)しい哉(かな)、交通事故の現場も同様です。その場のマジョリティーが常に正しいとは限らない。もしキリストが現代に生きていたら「汝(なんじ)、隣人の不幸を写メることなかれ」と言われたのでしょうか……。
余談はこの辺で切り上げて、今回は【メロディー】の物語演出について綴(つづ)ってみたいと思います。旋律にも歴史と文化があり、古今東西、様々な民族、様々な文化圏が、多種多彩な音階を生み出してきました。
上記の「聖戦のイベリア」の「侵略する者される者」という曲の中盤、キリスト教とイスラム教の軍隊が、それぞれの主張で合唱し合う場面があります。もちろん、歌詞でも対比を採っていますが、同一のメロディーモチーフを、それぞれスペイン風(ドレミファソ)、アラブ風(シレミファソ#)の音階にアレンジ(実際には、更に転調)して用いています。これも物語演出。両陣営の歴史的対立、文化的対比がより鮮明になったと思いませんか?
さて、次回は遂(つい)に最終回――【ハーモニー】について綴ってみたいと思います。それでは皆様、また再来週この場所で!