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夏の話(1)

2008年6月20日

  • 文 京須偕充

 前回は川開きにちなむ『たがや』の話でした。今回は山開きの話をしましょう。

 「落語には海開きの噺がない。四方を海に囲まれた日本だが、海水浴は文明開化以降に欧米から輸入された習慣なのだ。山開きといっても、江戸時代までは現在のような登山の習慣がない。山へ登るのはもっぱら修験道の行(ぎょう)が基本だった。そこから発展して修験にかかわりのない庶民、といってもあくまでも男性主体なのだが、修験のまねごと、つまりごく日常的な意味での信仰や祈願、あるいは身を浄める思いで山へ登った。登る山も霊験のある修験の山が中心だった」

 それで『大山詣り』は大勢でグループを作るのですか。

 「講(こう)という信仰名目のグループを作る。個人で修験のまねごと登山をしてもいいのだが、そこが表向きだけの信仰で、実体は今のツアーや団体旅行と変わらないのだよ」

 だから『大山詣り』も信仰場面はゼロで、帰途の宿屋での酒の上の喧嘩が中心のテーマなのですね。

 「それが落語というものだね。江戸から大山へ詣でるには今の国道246号線にあたる、といってもルートは必ずしも一致しないが、大山街道を行く。古くは大山道といったそうだね。三軒茶屋という地名はそのころからのものだろう。大山は現在、神奈川県伊勢原市に属している。今でも大山へハイキングに行くときは小田急電鉄伊勢原駅が出発点だね」

 一度行ったことがあります。関東平野が一望できてすばらしい景色でした。中腹までは登山道というより参道で、両側にお店が並んでいて観光地らしい雰囲気でした。猪鍋が名物なので帰りに味わいました。

 「江戸っ子は山頂の阿夫利(あふり)神社参詣まではとにかく神妙にしていたそうだね。元来、庶民の場合でも両国や小日向(こびなた)などの垢離場(こりば)で水垢離(みずごり)で身を浄めてから山へ向かうものなのだよ。両国は隅田川、小日向は神田川のほとりだね。参詣をすませると精進落としと称して遊ぶ。江戸への帰りは東海道へ出て、藤沢や神奈川――現在は横浜の中心部だが、この二つの宿場あたりで大いに騒ぐのだ。酒盛りをしたり女郎買いをしたり、実はこっちが目的で修験のほうは口実のようなものだった」

 それでいつも大騒動が起きるから、今回は喧嘩をしたら髷(まげ)を切り、髪の毛を剃ってしまうという制裁を課したけど、それがさらに大きな事件を生んだ、というのが『大山詣り』ですね。

 「こういう講を扱った噺には他に『富士詣り』があるが、『大山詣り』は変化に富んでいて江戸落語の大名作だね。噺ではさすがの富士山も大山にかなわない。講というのは山登りをしない場合でも、たとえば成田講などもあった。まあ、寺や神社は低地にあっても山にあるつもりだ。宗教がごく日常生活化してレクリエーションと融合していた時代があったということさ」

 それは江戸だけのことじゃないんでしょう? 上方落語に同じような噺はあるのですか。

 「『百人坊主』が似たような噺だね。この場合には目的地が大和の大峰山になる。『大山詣り』でスキンヘッドにされた上に置き去りにされた熊さんは仕返しのために江戸へ飛んで帰る。そのとき三枚の駕籠をチャーターするが、三枚とは担ぎ手を一人増やして三人にすることだ。高価だがスピードは速いから講の一行を追い越して先に江戸へ戻ってしまい、留守宅のカミさん連に講の連中が遭難したと嘘を言い、全員を尼さんにしてしまう。電車と電話のない時代ならではの滑稽スペクタクルだね」

 ところで大山講のシーズンは?

 「川開きのほぼ一カ月あとにスタートする。旧暦六月二十六日から七月七日までを初山(はつやま)、十三日までが間(あい)の山、十七日までが盆(ぼん)で、約三週間ほどの期間だね。ちょうど今の八月で気候はまさに盛夏だ」

 そんな時期の噺なのに「暑い」ということばがあまり出てこないようですし、聴いていて暑さをあまり感じないのは?

 「暑いの涼しいのを言うひまもないほどおもしろさと出来事がたっぷりの噺だということさ。本来、季節感などは落語の第一の勝負所ではないのだよ」

プロフィール

京須 偕充(きょうす・ともみつ)

落語プロデューサー

1942年、東京生まれ。ソニー・ミュージック(旧CBS・ソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の『圓生百席』や古今亭志ん朝の作品など、数多くの落語レコード、CDの制作を手がけてきた。

有楽町で開かれている『朝日名人会』に加え、06年4月に浜離宮朝日ホールを舞台に始まる『朝日いつかは名人会』をプロデュースする。

『落語博物誌』(弘文出版)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『古典落語CDの名盤』(光文社新書)など、落語に関する著作も多い。

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