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手塚治虫もトラファンだった 60年前の文通に素顔残す

2008年9月25日

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写真約60年前に手塚治虫さんからもらったはがきを前に語る田中荘介さん=神戸市長田区、西畑志朗撮影写真1950年に届いた故・手塚治虫さんからの年賀状

 神戸常盤大学で古代日本文学を教える田中荘介さん(72)=神戸市長田区=が、漫画家の故手塚治虫さんから60年ほど前にもらった5通のはがきを26日、兵庫県宝塚市の市立手塚治虫記念館に寄贈する。漫画家へのあこがれをファンレターにつづった少年時代の田中さんに、手塚さんが返事を書いた。イラストや次回作品の構想もかかれた貴重なものだ。

 田中さんが手塚作品に出会ったのは中学生だった1949(昭和24)年ごろ。当時、手塚さんは宝塚市に住みながら、大阪大学医学専門部(現・同大医学部)の学生漫画家として活動していた。

 映画のようにスピード感にあふれ、それまでの漫画にない生き生きとしたタッチの絵に魅了された。近所の書店で「火星博士」や「新宝島」などの単行本を買い、表紙がすり切れるまで読んだ。学校の美術の時間に水彩画で「ヒゲオヤジ」などを描き、先生にこっぴどく怒られた。

 「手塚さんのような漫画を描きたい」。田中さんは夢をはがきにつづり、出版社に送った。しばらくして、手塚さんから丁寧な手書きの文面にイラストが添えられたはがきが自宅に届いた。

 田中さんはうれしさのあまり同級生に見せびらかし、またペンをとった。「時代ものを描いて下さい」。再び届いたはがきには、田中さんの思いを受け止めたとも思える言葉があった。

 「御便有難(おたよりありがと)う(中略)みなさんの御希望により久々の時代ものをかいています」

 文通は約1年間、十数回続いたという。手塚さんは「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」の前身作品の連載などに取りかかろうとしていた。田中さんとのやりとりで、新作への気概を記した。

 「従来のマンネリズミカルな時代漫画の傾向を打破した新しいテーマで、他の漫画家達をアッといわせようと意気込んでいます」

 手塚さんがプロ野球・阪神タイガースのファンだったことを裏付ける記述も。

 「野球ものも考えていますが近頃の阪神の不振に聊(いささ)かくさっているので書く気がありません」。50年に届いた年賀状では、野球のユニホームを着たトラがバットを振るイラストが描かれていた。

 52年に手塚さんは東京へ。現在、田中さんの手元に残る5通は、当時2円程度だった官製はがき。茶色く変色してしまったが、手塚さんの文字やイラストをはっきり見てとれる。

 寄贈を決めた田中さんは「手塚さんからの丁寧なはがきは私を励まし続けてくれた。たくさんの人に見てもらい、天才漫画家として知られる以前の温かい素顔を知ってほしい」と話す。(根岸拓朗)

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