レレレのおじさん(左)と「天才バカボン」のパパ(C)赤塚不二夫
ニャロメ(C)赤塚不二夫
ナンセンスギャグ満載のマンガで、高度成長期の日本に笑いを与え続けた赤塚不二夫さんが2日、亡くなった。旧満州から引き揚げてきた経験、伝説のアパート「トキワ荘」で暮らした日々……。酒と笑いに包まれた生涯は、静かに幕を閉じた。
赤塚さんは戦後、中国の旧満州から一家で引き揚げた。1946年から約3年間、母の実家がある現在の奈良県大和郡山市で暮らした。空き地に積まれた土管が遊び場。そこでのいたずらの日々がマンガ「おそ松くん」の下地になり、「僕のギャグは関西なんだ」と語っていた。
赤塚さんの「初恋の人」で小6時代の同級生、松田和子さん(73)によると、倒れる前に奈良で開かれた同窓会には赤塚さんも出席。「すごく元気そうでした。同級生の中で一番出世した人。私の名前も覚えていてくれてうれしかった」
マンガ家を志した赤塚さんは56年、手塚治虫さんら多くのマンガ家が住んだ東京都豊島区の「トキワ荘」に入居し、5年間住んだ。マンガ家の水野英子さんは「トキワ荘で一番ハンサムで、しかも非常に気が利いた」。1畳ほどのスペースでちゃぶ台に向かい合わせで作業をしているときも、1枚しかない座布団をいつも譲ってくれ、ヘビースモーカーの石ノ森章太郎さんの灰皿をこまめに取り換えたり、お茶を入れたりしていたという。
「天才バカボン」などの作品が大ヒットし、有名になった後は多彩な交流やお酒好きでも知られた。98年11月に食道がんで入院したが、退院直後の99年4月には水割りを片手に会見。「がん告知でガーンとなるとダメ。やっぱり気力だ」と語った。
30代のころから飲み仲間という劇作家の唐十郎さん(68)は、「焼酎をしこたま飲んで酔っぱらっては、新宿3丁目の路上でパターンと仰向けになって寝ていたことを思い出す」と話す。飲んでいる時は、さかんに「モチーフはなんだ、プランはなんだ」と作品について尋ねてきた。
赤塚さんが酔った勢いで、唐さんの公演用のテントについて「汚れたなあ、買ってやろうか」と言い出したこともあった。翌日には突然、500人ほどが入れる紅(あか)テントを買ってくれ、それから約30年間、大事に使っている。最後に会ったのは病院だったが、唐さんを見て「こっそり飲もうか」と笑いかけたことが忘れられないという。