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被爆、子の死、ガン…妻の半世紀、撮り続け映画に

2009年7月2日

写真47歳の頃の川本キヨ子さん=映画「妻の貌」から、上映委員会提供写真編み物をする川本キヨ子さん=映画「妻の貌」から、上映委員会提供写真撮影の様子を語る川本昭人さん=広島市佐伯区、青山芳久撮影

 広島で原爆に遭ってがんを患う妻の日常を、やはり被爆した夫が50年間撮り続けてきた。それを編集したドキュメンタリー映画がこの夏、全国で公開される。子育て、家事、老親の介護……。ありふれた暮らしに放射能という影がまとわりつく様子が、平和の尊さを静かに訴える。

 川本昭人さん(82)=広島市佐伯区=は酒造会社の経営に携わる傍ら、妻キヨ子さん(83)が32歳で長男を産んだ頃から、日々の姿を8ミリやデジタルビデオに収めてきた。

 45年8月。医学専門学校生だった昭人さんは原爆投下の日に、学校のあった福岡県から結核療養のため帰郷し、数日後に入市被爆した。投下時に郊外の工場にいたキヨ子さんも、当日に家族を捜しに市内に入って被爆した。

 キヨ子さんは30代になって倦怠(けんたい)感やめまいなどに悩まされるようになった。42歳で甲状腺がんの手術を受けた後は激しい頭痛も加わった。原爆症と認定された。ベッドに横になり、長男が私立中学に受かった時を振り返る姿をビデオが追う。

 《とてもうれしいのに、ふっと、弟が被爆したあの時と同じ年になったんだなあと考えてしまうことが悔しい》

 市内で被爆した弟は、急性症状はなかったのに56年、突然激しい腹痛に襲われて亡くなっていた。

 キヨ子さんが57歳の83年には、同居していた昭人さんの母が寝たきりになった。13年続いた介護の日々。キヨ子さんは頭痛を和らげるため酸素吸入に頼り、ある日、ベッドの義母に「あんた、酸素吸うてきたんか」気遣われた。

 《そんなこと心配してくれて、私はどうしていいかわからん》

 97年、キヨ子さんは入院する。ビデオは、原爆で建物の下敷きになったという同室の女性が寝間着を脱ぎ、背や尻の傷跡を見せる様子もとらえている。「最初の子は紫(色)で生まれ、2日目に死んだ」。女性の告白に、キヨ子さんは涙をぬぐった。

 息子2人は結婚し、5人の孫が成長していく。映画のラストで昭人さんに心境を聞かれ、キヨ子さんは答える。

 《いろんなことを考えないようにして、まっすぐ前を見て。一日も早く元気になりたい。なんでこんなにいつまでも、みんなに迷惑ばかりかけるんかな》

 「妻の貌(かお)」(114分)と題した作品は、元となる短編を見たことがある映画評論家の佐藤忠男さんが映画館との交渉や宣伝費の負担を有志と共に引き受け、全国公開が実現した。「原爆が家庭に深い傷を残していることが自然に描かれ、映画史に残る作品」と佐藤さん。広島県出身の映画監督、新藤兼人さんは「人間とは何であるか、と問いかける人間の記録だ」と言う。

 昭人さんは「私の一番大切な人、妻を通じて自分のなかにある『ヒロシマ』を表現した」と話している。

 4日から広島で先行上映され、東京、大阪など全国約20カ所で順次公開される。問い合わせは東風(03・5389・6605)へ。(辻外記子)

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