黒沢清監督
李相日監督
森田芳光監督
自主映画の祭典「ぴあフィルムフェスティバル」(PFF)が30回を迎える。まだ8ミリ映画が盛んだった70年代に始まり、映画界の人材育成の機能も担ってきた。PFF入選などを契機にプロの監督になった人は60人ほどもいる。
「ぴあ」を大学在学中に創刊した矢内廣社長は、映画研究会にも入っていた。創刊5年後の77年に「志を持って自己表現をする若者を応援したい」と、公募形式のPFFを始めた。初回の応募は77本。大手の映画会社が監督候補の採用をやめた時期が重なって応募は増え、00年以降は6、700本が集まっている。
事務局によると、PFFで受賞経験があり、プロとなったのは約60人。内田けんじ、荻上直子、黒沢清、橋口亮輔、李相日(リ・サンイル)……。「作家性」が強いとされる監督が多いと言えるだろう。78年入選の石井聰亙監督は「PFFは刺激のある場所だった。いま何が生まれようとしているのかが分かる最前線」と話す。森田芳光、長崎俊一の両監督も同じ年の入選者だ。
84年にはスカラシップ(奨学)制度を導入。受賞者に新しい企画を求め、厳選した1本に製作費を援助。プロデューサーがついて製作、宣伝、配給までを担う。外国語の字幕を付けて海外の映画祭にも売り込んだ。90年代には橋口監督の「二十才の微熱」がベルリン映画祭に招かれるなど、実績があがってきた。
今年も成果は著しい。スカラシップ作品ではベルリン映画祭で「パークアンドラブホテル」の熊坂出監督が最優秀新人作品賞。昨年のPFFグランプリ作「剥(む)き出しにっぽん」の石井裕也監督がアジア・フィルム・アワードのアジア新人監督大賞に選ばれた。
その枠を超えて存在感を増すPFF。だがそれは、映画界の課題と裏表の関係だ。PFFの荒木啓子ディレクターは「才能があっても数を撮らないとうまくならない。だからスカラシップで他がやらないことをやってきた。でも人材育成は本来、国や映画会社の役割」と述べる。
PFFの運営も楽ではない。放送局など5社と共同事業で運営しているが、「収支はトントン」だという。また、ぴあは今年5月、07年度決算の大幅赤字を背景に、社員の約3分の1にあたる希望退職者の募集を発表した。
矢内社長は「PFFは共同事業で、本業に大きなマイナスを与えずにやれている。社の理念を示すアイデンティティーでもある。今回の経営計画でやめることは考えていない」という。(高橋昌宏)
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19〜25日、東京・渋谷東急で。詳細はホームページ(http://www.pia.co.jp/pff/)。10月から名古屋、福岡、仙台、神戸、京都の5都市を巡回。