小林旭さん=郭允撮影
親父(おやじ)の友人に日活のプロデューサーがいたんだね。高1の春、その方が親父に向かって「お宅の坊ちゃん、俳優やれるよ」って言うんで、学ランのまま面接に出て、少しせりふを読んだら、通っちゃったんだ。日活ニューフェースの3期生。でもニューフェースたって、幹部候補生じゃないんだよ。単なる4月1日付新入社員。
当時の日活は、調布にできたばかりの撮影所があった。そこの大部屋に放り込まれた。100人から200人の役者が、エキストラしながらスターを夢見てうごめいているところだな。
おれは、ものおじしないというか、エキストラの出演でも手抜きして、暇さえあれば役付きの役者さんたちの芝居をじっと見て研究していた。でも、大部屋には軍隊帰りやなんかで、新人をいびることで自分の人生の恨みをはき出すようなのがいっぱいいたんだ。
撮影中にこんなことがあった。非常階段の踊り場でギャングに殴られ後ろ向きに落ちるシーン。本番になると、わざと本気でひっぱたく。「あ、ごめん」って言ってNGを出す。そういうことを何遍もやる。だから奥歯かみしめて「どうぞ思い切ってやってください」と言ってやったよ。殴ったやつは中指骨折してたけどね。
大部屋には、長さが20メートル弱の一枚鏡が4、5枚と、ビニール張りの丸いすがある。いすの足は、鉄パイプを半円状に曲げて丸くなってる。座りどころによっちゃあ、つるって転ぶんだな。時代劇の仕出し(エキストラ)をやってたときだ。目張り(アイライン)をしなきゃいけない。こっちはどうしたらいいか分からないから先輩に聞くと「んなものぁ、そこらへんの色鉛筆で書きゃあいいんだ」と怒られる。かつらをかぶるのに髪の毛をたばねるんだが、その仕方がわかんねえさ。だから、40年、50年選手の人たちが作っていくのを、鏡に映してじっと見る。まともに観察してると「何見てんだ!」って怒られるからね。
なるほどああやるのかと、鉛筆で目張りを入れていた。鏡に顔を近づけるから、ケツが浮くじゃない。それをわざと、丸いすにけつまずいていくのよ。コンクリの床に転ぶし、鉛筆で鼻の頭をつつくし。痛かったよー。あの痛さは忘れない。
ある日、どうにもがまんがならず、親父の日本刀を持ち出し、撮影所の表玄関で待ってたんだ。一日待っても野郎が出てこず、そのうち守衛がきた。「小林さん、でしょ? もう撮影所の中だれもいないけど、なにか用事?」
頭に血が上って、裏門があるのをすっかり忘れてたんだ。当時の調布は野良道でね。腹すかした男が刀を懐にじっと待ってんだから、異様だったろうねえ。
俳優は、誰しもトップになりたいもの。だが、己の器を知らなければならない。自分が二枚目じゃないと思ったら、脇の渋い役とか研究していけば生きる場所はあるわけ。自分の個性、本質を早く会得して、それを表現できる力を努力して研究すれば勝ちなんだ。
大部屋で学んだ教訓といって、別にない。ただ、何をやるんでも、一生懸命無我夢中。我を無くして夢の中のごとく、一生に命を懸ける。正直者は馬鹿を見るというけれど、馬鹿をみたってたかだか人生。どうせ人生一回しかないんだから、いいんだよ。
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太い指、広い肩幅、豪放磊落(ごうほうらいらく)なマイトガイ。しかし、イメージとは裏腹の資質があってこそ、大部屋から今までを生き残ってこられた。繊細で貪欲(どんよく)な、反骨の研究心だ。(近藤康太郎)
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こばやし・あきら 38年東京生まれ。渡り鳥シリーズ、流れ者シリーズで国民的俳優に。歌手としても「熱き心に」などヒット曲多数。