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■「罪」を浄化する圧倒的な母性
映画は、人の生きざまを描くもの。極上のロマンスや壮大な冒険、正義を振りかざした戦争映画もよいが、何事もままならない日常の細部にこそ、人生の真実は宿る?
フランス語の原題は「自らを助ければ、天は汝を助ける」との意味だという。この映画は、家族から次々と難題が降りかかり、息つく暇もない母が主人公。孤軍奮闘するが、救われない。それでも明るく生きる姿を生き生きと映した「セ・ラ・ヴィ」(それが人生)と題すべき物語だ。
フランスの黒人居住地区が舞台。母ソニア(フェリシテ・ワッシー)は、コインランドリー経営と在宅介護の仕事で忙しい。女っぷりをあげようと美容院に通うが、いつも引きつり笑いしかできない。夫は長女の結婚資金を競馬ですって逆ギレし、麻薬密売に手を染める長男は父に殴りかかって取っ組み合い、次男は柵のないマンションの屋上でバイクを乗り回して落ちそうになる。
ソニアは、いつも自らに言い聞かせる。
「解決策は必ずあるから」
長女の結婚式当日、元気だった夫が急病死した。娘の結婚式はあげたい、夫の年金がないと暮らせない。ソニアは隣家の独居老人の助けだけを借りて、死体をひそかにマンションの地下に埋める。その共犯の老人が死ぬや、すぐ隣に埋めてしまう。
罪や面倒の一切を1人で背負い、飲み込む肝っ玉かあさんは、だらしない大人ども、若者どもの止まり木であり、それでも彼らが時代や社会を回すための滋養源になっているさまを映す。強いられるでもない自己犠牲が染みついているソニアは、夫の死後、新しい恋をつかみかけるが、家族や友情と板挟みになり、ことはうまく運ばない。
母としての強靱な包容力と、女性としての繊細な恋心の対比を、ワッシーは笑みとはにかみ、ひきつりが同居した目もと、口もとの豊かな表情で好演している。
一つひとつの難題のエピソードは、どれも、そのまま短編映画にできそうな彩りと深みがある。だが、約90分の上映時間内に詰め込みすぎたきらいがある。それを差し引いてもあまりある余韻がある。
監督のフランソワ・デュペイロンは、03年のベネチア映画祭で好評を得た「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」で知られる。万引き常習のユダヤ人少年と、人生の悲喜こもごもを味わい尽くしたトルコ移民の老人との心の交流を映した。
母性や父性のふところの深さ、どんな悪ガキでも、子どもたちは人類の宝物だという慈愛を持ち合わせた監督の秀作だ。(アサヒ・コム編集部 宮崎陽介)