(C)KW Filmproduktion / HFF "Konrad Wolf"
■小さな物語で躍動する小さな子
小さな話を描いた小さな映画だが、そこには、子どもの姿を通して、生の輝きが鮮やかに描かれていた。
舞台はニカラグアの貧民街。13歳のカルロスは、小さな詩人。友達の中でもひときわ小柄だが、夢を追い求める心は一倍強い。「ヒガントーナ」と呼ばれる民族舞踊で、詩の読み手になりたい。だが、友達が組んだ舞踊グループから仲間はずれにされ、バナナ工場で働かされる日々。夢を捨てきれず、独自の舞踊グループを作ろうとするが、踊り手がいない。活動資金もない。資産家に援助を求めても断られ、八方ふさがりに落ち込むばかりだが、大きな海を前にして、あきらめないと心に決める。
赤茶けた泥がむき出す森の中の家々は、板を寄せ集めて作ったあばら家のよう。街もコンクリートがむき出している。だが、そこに暮らす人々の営みが、生き生きと映されている。でっぷり太ったカルロスの母親はなりふり構わぬ稼ぎを求め、カルロスは「制服を買いたいから」と、外国人からまんまと大金をせしめるたくましさ。新しい夫も娘さえも恐怖におののく気丈夫な母親は、年がいもない浮気心に、自ら女を感じたり戒めたり。
暮らしは貧しいけれど、心は決して貧しくない。暮らしていくだけで精いっぱいの人々の中に、はつらつとした姿やかすかな希望の芽を見つけ出した。それらを映画のための作り物ではなく、自然体のままカメラに写し取ることができたのは、ドイツのアンドレアス・カネンギーサー監督が1年間、劇中の家族とニカラグアで暮らした成果だ。「ドキュメンタリーとフィクションの境界を埋めたかった」という監督の当初の目標は果たされたといえる。
ドイツの監督がニカラグアを映し、同じコンペ部門の中には、ロシアの監督がキューバを映した作品もあった。悠々と国境を超える世界の作り手たち。外国で撮ることは、国内の問題に目をつぶったり、ないがしろにしたりすることを意味しない。今、一番映したいものが、外国にあっただけのことだが、日頃、世界に関心が向いていないとできないことだろう。(アサヒ・コム 宮崎陽介)