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東京国際映画祭で女優賞、フェリシテ・ワッシーの世界

2008年10月26日

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写真映画「がんばればいいこともある」から(C)2008 ARP写真東京・六本木ヒルズで  写真東京・六本木ヒルズで写真地下鉄構内で兄のビンセント・ワッシーと写真兄と浅草を散策写真埼玉県草加市内のすし店で

 東京国際映画祭のコンペ部門に出品されたフランス映画「がんばればいいこともある」(フランソワ・デュペイロン監督)は、パリ郊外の公営団地に住むアフリカ系家族を描いた秀作だ。主人公ソニアを好演し、映画祭のため来日した女優フェリシテ・ワッシーに話を聞いた。ワッシーは26日、女優賞の受賞が決まった。(アサヒ・コム編集部 菅光)

 映画は、長女の結婚式を控えた朝、ソニアがヘアサロンに入っていく場面で始まる。長男が麻薬の不法所持容疑で逮捕され、夫は有り金すべてを競馬につぎ込み、一文無しで帰宅。結婚式に向かう直前、その夫が心臓発作に襲われ急死する。未婚の次女はその夜、妊娠7カ月を告白。次男はアパート屋上でバイクを乗り回し、転落しそうになる。結婚式後、ひとりアパートに戻ったソニアは向かいに住む独り暮らしの老人に「夫の遺体を預かってほしい」と頼み込む。夫の年金をあてにしていたソニアは、老人の入れ知恵で遺体を地下室に埋めてしまう。秘密を共有した老人は次第にソニアにひかれていく。しかし、満月の夜、ソニアの肌に触れた老人はソファに腰掛けたまま、眠るように息を引き取る。ソニアは老人の遺体も地下室に埋める。

 あまりの出来事に声を失い、立ちつくすソニア。その声にならない感情を、フェリシテ・ワッシーは巧みに演じきった。6カ月に及んだ撮影が終わると、頭を剃り上げて「ソニアとお別れした」という。

 カメルーンの首都ヤウンデで育ち、12歳で両親とともにパリに移り住んだ。14歳から演技を学び始める。15歳の時、ロンドンでレゲエのピーター・トッシュの公演を見て衝撃を受けた。髪を編み上げ、ミリタリー・パンツをはいてパリに戻った。パリでは、同じアフリカ系やカリブ系の黒人アーティストに可愛がられた。俳優仲間はもちろん、ミュージシャン、ファッション・デザイナーなど、ジャンルを超えて一緒に育った。「アフリカとパリの感覚を重ね合わして表現する自分たちは、アフリカ系パリ人だ」と思う。

 遅れてパリにやってきた兄2人もミュージシャンだ。3歳の頃から鍋をたたいていたという次兄のブリスはドラマーで「リズムの王様」。リズムの宝庫と言われるカメルーンの伝統的リズムをドラムセットでたたき出す。長兄はギタリスト。芸術的な遺伝子は父親から受け継いだものだった。子どもたちには隠していたが、父はカメルーンの有名ミュージシャン、マヌ・ディバンゴのバンドでバンジョーを弾いていた経験を持つ。

 演劇の勉強は18歳まで父には内緒だった。父は背筋が伸びた「大木のような存在」。学業第一を求める一方で、ルーツに誇りを持ち、学校の先生が家庭でもフランス語で話すように求めても拒絶。家庭内ではカメルーンの言葉で通した。故郷の言葉を教え込んだ父親は「先見の明があった」と思う。

 映画の中で「演技が難しく、もっとも大事な場面」は、麻薬密売に関与して再び逮捕された長男に面会に行くシーン。罪を悔い、涙を流して父への愛惜を吐露する息子の肩を抱きながら、母もまた涙を流し続ける。「母と息子の関係性が変わる場面」だ。母が初めて息子の前で弱さと涙を見せることで、互いに助け合う存在だと教える。「巣立っていく子どもには自分の身は自分で守ることを教えなくてはいけない」

 自身にも、17歳の娘と14歳の息子がいる。「難しい年頃になった」息子を毎夏、カメルーンの村に送り込んでいる。まったく異なる環境の中で、祖父の言葉や伝統的な文化に触れて一夏を過ごした息子は「背筋が少し伸びて」パリに戻ってくる。

 パリでは、映画の舞台となった郊外ではなく、18区の移民街バルベスに住む。モンマルトルの丘の東側に位置し、映画の冒頭に出てくるようなアフリカ系の美容院やレストランなども多く、アラブ系の北アフリカとブラック・アフリカを混ぜ合わせたような空気が流れる下町だ。仕事でパリを留守にしても、戻れば知り合いが、夜遅くまで友達と遊び回っていた息子の様子を教えてくれる。夜のパリを延々と歩き、誰もが知るパリ中心部からバルベスへ帰っていく。「二つの世界を毎日行き来するのがおもしろい」

    ◇

 日本滞在最終日、映画祭のために持ってきたクリスチャン・ラクロワの服から細身のGジャンとジーンズに着替え、ホテルを出て地下鉄に乗り込んだ。

 カメルーンやパリからも遠く離れた日本には、3番目の兄ヴェンサン(ビンセント)がいる。「おばあちゃん子だったので、一人だけヤウンデに残った」3番目の兄は94年、パリを経由せずに日本へ向かった。次兄と同じドラマーの彼は今、東京で三味線を習得し、日本のメロディーとカメルーンのリズムを重ね合わせる音楽を探究している。

 兄が住む埼玉県草加市を訪ねた。兄が「日本のお母さん」と慕う女性の家に招かれ、すし屋で好物の刺し身をごちそうになった。パリの日本料理屋ですしや刺し身は食べ慣れている。来日14年でもまだ「生ものは食べられない」という兄を尻目に、白ご飯を片手に大皿の刺し身盛り合わせを平らげた。「兄が住む町と、兄を愛する人たちと会って、安心した」女優の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

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