映画「チェチェンへ」とガザ侵攻への思いを語る重信メイさん

いずれも、「チェチェンへ アレクサンドラの旅」から
公開中の映画「チェチェンへ アレクサンドラの旅」(アレクサンドル・ソクーロフ監督)の上映に合わせ、ジャーナリストの重信メイさんが6日、東京・渋谷のユーロスペースでトークショーを開いた。イスラエルのガザ侵攻にも重ね、この映画が描く女性たちの悲しみ、嘆きについて語った。(アサヒ・コム編集部)
■戦争の理由違うが、結末同じ
「チェチェンへ」は、戦争の悲劇や不条理を、老女の目を通して静かに浮き彫りにする。
夫を亡くした80歳のアレクサンドラは単身、よぼよぼの足取りで紛争地チェチェンに赴き、将校になった27歳の孫に再会して孤独を慰め合う。駐屯地を歩き回る老女の穏やかな姿に、疲弊した若い兵士たちは癒やされ、「心」を取り戻しかける…。優しく包み込むような慈愛に満ちた老女。映画は、まるで「聖母マリアが見た戦争の図」の趣だ。
実在のチェチェン駐屯ロシア駐屯地で撮影された。砂に煙り、かげろうがゆらめく大地にヘリコプターの轟音が響くが、戦闘場面や一発の銃声もない。だが、そこに悲劇を暗示する監督の意図を重信さんは読み取った。
「戦っている両側に犠牲者がいて、女性や子どもたちが一番被害を受ける。きょう見たニュース映像も、私が体験した戦争もそうだが、戦争の場面やイメージは、どこでも同じ。病院内のパニック、破壊される街、学校や民家への爆撃。言語や戦争の理由は違っても、結果は同じだ」
■社会の核は、いつも女性
この映画の主役は女性だ。市場で買い物中に気分が悪くなったアレクサンドラと、彼女を介抱するチェチェン人女性たちの悲しみと空虚、諦念、ほんのかすかな希望に対する共感が主題だ。監督はチェチェン人女性の口を借りて、「男同士は敵同士になるかもしれない。でも、私たちは初めから姉妹よ」と語らせた。
「この映画では、武器を持っていない女性たちが会話をして、友達になって、最後は愛情を持って別れる。だが、残念ながら、今のイスラエルの社会の中では、(パレスチナ人と)そこまでの関係になっていない」と話す。どの地域の、どの戦争でも「だんなさんが殺されたら、女性が家族を支え、仕事をし、プライドをもって子どもが大人になるまで育てる。戦争の時も平和の時も、女性が社会の核になっている」。
重信房子・元日本赤軍リーダーを母に、73年、レバノンで生まれた重信メイさん。同地の大学院で国際政治を学び、現在、ジャーナリストとして活躍する。その視線で悲劇の裏側を見つめる。
「イスラエルでは2月に総選挙があるが、残念ながら、勝つのは『強さ』を表すことができる政治家。歴史をさかのぼってみても、選挙前には、何らかの攻撃がある。政治的理由で犠牲者が出ることが、よくある」
悲劇は、戦場だけでなく、背後にも及ぶという。「ガザとの国境ラファを、エジプトは病人、けが人にしか開かない。米国やイスラエルから批判されるからだ。食料や医療品も入ってこない。戦争に虐げられる人だけでなく、彼らを助けたい人々も虐げられる」
■破壊される家族、愛、空間
ソクーロフ監督は、そうした戦争の現実を、ひとときの平穏に浸る老女と孫のやりとりの中に凝縮してみせた。アレクサンドラは語りかける。「あんなたちは嫌われている。破壊ばかりで、建設はいつ学ぶの?」。また、夫を亡くして孤独な彼女は、こうも言う。「人生の終わりが近づいても、まだ生き続けたい。独りはだめなの」と。
こうした現実を前に、重信さんはこう助言する。
「戦争では人間の命が、ただの数字になってメディアから流される。一人ひとりの家族がいて、愛する人がいて、それぞれの空間があったが、破壊されたのに。簡単に手に入る情報は正しくないことが多く、自分の力で情報を得て、それを発信してみる。遠い日本にいて、助けることなんてできないと思っていても、できることはたくさんある」
ソクーロフ監督は、終戦前後の昭和天皇の「素顔」を描いた「太陽」で話題を呼び、ヒトラーやレーニンの日常を赤裸々に映したことがある。エルミタージュ美術館を90分ワンカットで撮影したこともあれば、赤茶けた大地の中に世界の終末を映したり、父と息子の禁断の愛に向きあったり。幻想的で難解、寡黙な作品が多いが、作品がはらむテーマは重く、世界の映画祭で評価されている。
主演アレクサンドラを演じたのは、ソプラノ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤ。反体制作家ソルジェニーツィンを擁護したチェリストのムスティスラフ・ロストロポービッチの妻。夫と米国に渡り、ソ連国籍を剥奪されたが、ゴルバチョフ政権のもとで帰国した経験がある。