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引き揚げ体験の監督、満蒙開拓団の悲劇を記録映画

2009年6月2日

写真映画でも紹介された、ある開拓団員の入植当時の家族写真=自由工房提供写真映画の一場面。黒竜江省方正県にある「日本人公墓」を訪れるツアー参加者ら=自由工房提供写真羽田澄子監督

 1931年の満州事変以降、国策で中国・東北地方(旧満州)に送り込まれた開拓団の悲劇を真正面からとらえた記録映画「嗚呼(ああ) 満蒙開拓団」が完成した。約27万人が送り込まれた開拓団は、ソ連軍の侵攻と敗戦の混乱で、約8万人が死亡、多くの中国残留日本人孤児らも生み出した。戦後60年余。ていねいに取材して歩いた映像だ。

 監督は、旧満州・大連生まれの羽田澄子さん(83)。自ら敗戦を大連で迎え、引き揚げ体験がある。

 きっかけは、600人を超える中国残留日本人孤児たちが02年に国に賠償を求める集団訴訟を起こしたことだ。同じ旧満州にいたのに開拓団の実情を知らなかった。「撮っておかなくては」と裁判のたびにカメラを回し始めた。

 07年、黒竜江省方正県に中国政府が日本人犠牲者のために建立した「日本人公墓」があることを知り、一気に映画制作へと進む。墓参ツアーに同行、参加した元開拓団員らの話を順番に聞いた。日本に戻っても彼らを訪ねては、取材を続け、二十数人にインタビューした。

 役場で勧誘されて敗戦の年の5月末に家族で旧満州に入植したこと、「乗せて」と頼む開拓団の人たちを振り払って行ってしまった軍のトラックのこと、逃避行の途中で足手まといになるという理由で5歳の妹が手にかけられたこと――。歴史の生き証人たちのインタビューの様子を映像に収め、自身の思いをナレーションで重ねた。

 約100本の映画を撮ってきたベテラン監督。だが、「今回は非常に大きな問題で、最初はどう作っていいかわからなかった」と明かす。聞くのは重い話ばかり。「映画作りよりも、それを受け止めるほうがしんどかった」

 羽田さんは2時間の映画の最後にこう語りかける。「どうしてこのようなことが起こったのか、その責任はどこにあるのか」

 6月13日から、岩波ホール(東京・神保町)で公開される。一般1800円。また、20を超える全国各地の映画館でも7〜9月に上映予定という。(編集委員・大久保真紀)

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