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尾崎豊ゆかりの喫茶店 ギターや写真にファン集う 愛知

2009年4月25日

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写真87年3月、昔の店舗前で尾崎豊(右)と榊原要さんが並んで撮った写真=榊原さん提供写真ファンから話を振られると「豊は色あせてないな」と感じるという榊原要さん=愛知県半田市銀座本町4丁目

 17年前に26歳で急逝した伝説のロック歌手、尾崎豊。東京・青山学院高等部に在学中にデビューし、最期の日の朝、酔いつぶれ、民家の庭に座り込んでいた。そんな尾崎を身近に感じられる場所が愛知県内にもある。熱心なファンが訪ねる半田市の喫茶店だ。25日、17回目の命日を迎えた。

 その店は同市銀座本町4丁目の「カガシヤ」。経営者の榊原要さん(60)は尾崎と父親同士が兄弟で、いとこだ。ライブ会場の楽屋に尾崎を訪ねたり、逆に尾崎が建て替え前の喫茶店に来たり、つきあいがあった。尾崎の父は半田市生まれで、節目節目に訪ねてきている。

 カガシヤは、JR半田駅から徒歩で5分ほど。テーブル席が六つのシンプルな作りで、どこにでもありそうな喫茶店だ。よく見ると、隅にひっそりと、形見分けでもらったエレキギターや尾崎の写真を飾っている。

 だが、ファンにとっては、特別な喫茶店のようだ。店に10回は来たという東京都江東区の50代の主婦は「尾崎を身近に感じることができる特別な場所」という。04年10月に店を近くに移転したため、尾崎が直接足を運んだ店ではないが、それでも主婦は「身近だった人から話が聞けるので貴重な場所」と話した。毎週1回、愛知県武豊町から足を運ぶ60代の女性もいる。

 「愛知に尾崎ゆかりの場所がある」。そんなうわさがファンの間で本格的に広まったのは尾崎の死後だった。本にカガシヤのことが書かれたからだ。月に5、6人、時には台湾からもファンが訪ねてきたことがあり、今もぽつぽつとファンが訪れる。

 「みんなが言うのはだいたい『どんな人でしたか?』という質問」と榊原さん。「イメージとは違うかもしれないが、言葉遣いが丁寧で明るく、ファンの高校生を会わせても、嫌な顔一つしなかった」と、当時の姿を伝えるという。

 特別なファイルを開く時もある。尾崎から届いた年賀状や尾崎のゴルフのスコアカード、尾崎の父が息子のデビュー前に思いをつづった手紙などが入っている。手紙には「あれ程(ほど)芸能界を嫌っていたのについつい……学校は続ける条件で契約書に印を捺(お)してしまいました」などとある。でも、尾崎は高校を中退した。

 尾崎の死はバブル経済が崩壊して不況に転落したころだった。それから17年、回復した景気は急激な後退に見舞われている。時は変わってもファンは忘れず、訪ねてきた人から今も手紙が届く。榊原さんは「尾崎の存在はいまも色あせていない」。(石井潤一郎)

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