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「音」探す旅でブラジルに出会う 宮沢和史、ライブで

2008年7月1日

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写真宮沢和史=蛭田真平撮影

 「島唄」で知られるザ・ブームの宮沢和史が、06年に立ち上げた別のバンド「ガンガ・ズンバ」を率いて南米ブラジルに乗り込み、22日からクリチバやサンパウロなど4都市で公演する。日本からの移民100周年記念のライブだ。その実現には、ブラジルの豊かな音楽や日系社会との出会いがあった。(萩一晶)

 「移民の歴史など頭になかった」という宮沢を変えたのは、日系の若者との偶然の出会いだった。ブラジル音楽にのめり込み、現地でも公演。そこに大勢の日系人が詰めかけ、「島唄」を口ずさんでくれたのが衝撃だった。

 「地球の裏側で一緒に歌えるなんて、奇跡だと思った」

 その関心が「移民100周年の08年はブラジルでライブをやる以外にない」との固い決意に変わったのは、3年前。ロンドリーナという日系人の多い街で小さなライブをやった際に、第1回移住船の笠戸丸で海を渡った約800人の移民の最後の生き残り、中川トミさんを自宅に訪ねたときだ。

 熊本出身で、当時98歳。長い人生を振り返り、「私はよく働きました」と語る中川さんの姿に初めて、1世紀という時間の肌触りを感じた。「目の前にいるおばあちゃんの一生が移民史なんだ、と」

 中川さんは翌年亡くなったが、「バンド全員を連れて、いいライブをしたい」という思いには火がついた。中川さんの話に触発されたシングル「足跡のない道」も作った。

 もともとは、U2やポリスなどの英米ロックが大好きな学生だった。89年にデビューし、アマチュア時代の作品をアルバム2枚に吐きだしたとき、はたと気付いた。「英米ロックの模倣が自分のすべてで、いいのだろうか」と。

 「民謡をやる手もあるが、いくら自分を逆さに振っても自分の鼓動、ルーツの響きが見つけられない気がした」

 自分の「音」を探す遍歴の旅を始めたのは、それからだ。ジャマイカ、沖縄、キューバ。そして14年前に、ブラジル音楽にたどり着いた。

 「とにかく人間くさい音楽。奥が深い。みな生きることに貪欲(どんよく)で、一人一人が迫力がある。厳しいところから生まれてくる音だからこそ強い」。ベテランでありながら新しいものに挑み続けているカエターノ・ベローゾとジルベルト・ジルが好きだという。

 来年、デビュー20周年を迎える。42歳。今回のブラジル公演と、ジルを招いた9月の日本公演を、ひとつの大きな区切りと位置づける。

 「たとえば青森で苦労しているおばあちゃんにも、東京で髪を逆立てている男の子にも、南米やアフリカの人にも、だれの心にも響き、歌いたくなるメロディー。そういう歌を書きたい」

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