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さらば「演歌の殿堂」コマ劇場 最後の北島三郎公演

2008年9月11日

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 東京の「演歌の殿堂」、新宿コマ劇場が今年いっぱいで52年の歴史を閉じる。そこでサブちゃんこと北島三郎の歌と芝居の公演(30日まで)に、「新宿育ち」を自称する作家・嵐山光三郎さん(66)と行ってみた。コマで北島が座長公演を打つのは39回目。名物舞台の見納めだ。

 嵐山さんはパナマ帽に雪駄(せった)でコマの前に現れた。「この辺りも変わったなあ」とつぶやき、早速メモを取り始める。東京の西郊、国立市育ちの嵐山さんにとって、新宿は身近な盛り場だ。「コマができた56年に、僕は中学生。美空ひばり公演や由利徹の喜劇など、色々見てきた」

 第1部は芝居、2部は歌のショーというのが座長公演のお決まりだ。コマでこの形を固めたのが美空ひばり。68年に初座長を務めたサブちゃんは、ひばりの30回を超え、歴代最多座長記録を持つ。紅白ならぬ「コマの座長」の大トリも任されることになった。

 スタジアム式の2088席の客席は満席。観客は中高年層が主流で、39歳の記者は最も若い部類だろう。男性が多い。長年のサブちゃんファンという嵐山さんも熱気に驚いた様子。「野球場か国技館のようだ」と感心している。

 第1部「国定忠治」は凶状持ちの親分の逃避行と親子愛を描く人情物。サブちゃんが苦衷の親分を渋く演じ、実の娘の水町レイコが舞台初共演している。「主役がすぐ登場し、テンポよく進むのがいい。60年代の東映ヤクザ映画時代からサブちゃんは存在感のある俳優でもあった」と嵐山さん。

 休憩中のロビーは満員電車のような混雑。金色のサブちゃん像が置かれ、売店ではまんじゅうやTシャツなどのグッズが飛ぶように売れる。観客離れで閉鎖とは、信じられない盛況だ。コマ劇場宣伝担当の前川倫夫さんは「この公演の人気は別格。最後ということもあり、全43ステージがほぼ完売しています」。

 2部の「北島三郎大いに唄(うた)う」は、広い円形舞台をフルに使った仕掛けで、総勢132人が出演。ラスベガスのショーに学んで、派手な舞台に仕立てているが、観客の最大のお目当てはサブちゃんの歌声だ。「なみだ船」「与作」などを次々歌う。「いいねえ。やはり生で聴くと、すっごくいい」。嵐山さんの目尻は下がりっぱなし。女性客からは「サブちゃーん」と歓声が飛ぶ。「全共闘時代は学生がみな『兄弟仁義』を歌った。今の僕のテーマソングは『函館の女』。旅に出て船に乗ると、つい口ずさんでしまう」

 本人が軽妙に曲を紹介する際に使う年号はすべて「昭和」。亡き両親への感謝と故郷・函館への思いを語り、努力を説く。漁師姿で船に乗り「北の漁場」を歌ったかと思えば、大詰めでは巨大なねぶたの上で「まつり」を熱唱する。出演者総出のハネトと太鼓で、観客の興奮も最高潮に。歌舞伎町に「古きよき日本」を現出させてきたこの公演は来年から、東京・青山劇場に会場を移す。

 「舞台や幕、いすに私の歌がしみていると思うと寂しくなります」とサブちゃんが語りかける。「これだけ盛り上がれる劇場はここしかありませんでした!」。コマとの別れを惜しむサブちゃんのあいさつに、嵐山さんは静かにうなずいていた。(藤谷浩二)

■「新宿の活力、コマと共にあった」嵐山さん

 北島三郎の圧倒的な魔法。4時間、飽きるところがなかった。

 印象的なのは「北の漁場」を歌う場面。サブちゃんが乗る実物大の漁船が荒波を進むように揺れ、背景の波の映像と重なる。客席が1、2階に分かれていないため、観客のカタルシスも渦を巻いて一つになる。

 コマの大空間を使い切るにはサブちゃんや美空ひばり級の大スターが必要。戦後の影を引きずっていたひばりに対し、サブちゃんは底抜けに明るい。高度成長の時代の人ですね。71歳であの若々しさに美声、加えてサービス精神がある。

 新宿が文化の発信地だった60年代、街の中心は紀伊国屋書店とコマ劇場だった。紀伊国屋で三島由紀夫や大江健三郎を見かけ、コマで実力ある芸能人がしのぎを削る。周辺を映画館やジャズ喫茶、飲み屋、アングラ演劇が取り巻いていた。

 多様な人々が楽しみに来る劇場があった方が街は発展する。かつて新興繁華街だった銀座が浅草を抜いたのも、歌舞伎座や日比谷の劇場街が近かったのが一因でしょう。新宿の活力もコマと共にあった。再開発後も、ぜひまた劇場をつくって欲しいね。(談)

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