エルヴェ・ニケ指揮コンセール・スピリテュエルの舞台。右端のトランペット奏者たちをはじめ、管楽器奏者は皆立ったままだった=池上直哉氏撮影
■先入観取り払う試み
いにしえの響きを追い求める古楽演奏。その繊細かつ親密な響きはかつて、ヒーリング音楽の象徴にもなっていた。しかしこの秋、音がはずれようが調和しまいが気にしない、そんな奔放な発想にどきっとさせられる古楽の企画が日本で相次いだ。
舞台上の奏者、ざっと数えて80人。奏でるのはおなじみヘンデルの「水上の音楽」に「王宮の花火の音楽」だ。東京・西新宿のオペラシティで開かれた、エルヴェ・ニケ率いる古楽アンサンブル「ル・コンセール・スピリテュエル」の演奏会。イギリス国王ジョージ1世の船遊びや、ジョージ2世が催した華々しい花火ショーで奏でられた音楽を、当時の状況のままに演奏するというプロジェクトだった。
目を引いたのは、左右9人ずつに分かれ、立ったまま応酬し合うホルンとトランペットの一群だ。トランペット隊はみな、腰に手をあてた一気飲み姿勢。息の加減で音程をとるため、他の管弦楽器を間に挟んだ両雄の音程がかなり豪快にズレることも。
「正しい音程」に慣れた耳には、これは騒音に近い。しかし、様々な楽器の重なりがもたらす音色のバリエーションは、時にモダン楽器より、はるかに多彩になる。「聴くに耐えない」と言うかのように首を振って出て行く音楽評論家がいる一方で、ほとんどの聴衆が終演後、立ち上がって長い拍手を送り続けた。
ニケはこう語る。「バロック時代の音楽は、小さなサロンや宮廷の一室で親密に演奏されていた、と誰もがノスタルジックに思っている。しかしルイ14世の結婚式会場には6千もの席があり、ど派手な音楽が普通に演奏されていた。これのどこが一体『親密』な空間なのでしょう」
バイオリニストのイザベル・ファウストは、ピアニストのアレクサンドル・メルニコフらとブラームスのホルン三重奏曲のCDをリリース。指定されたナチュラルホルンにあわせ、同時代の古楽器を手にして録音に挑んだ。
「古楽器を使ったのは原点に返るためではなく、自分たちがどんな先入観に縛られているかを知り、さらなる音楽の可能性に心を開くため」
「調和の妙」より、異質なもののぶつかりが生むひずみを楽しむ演奏家もいる。チェンバロ奏者のアンドレアス・シュタイアーは、フォルテピアノとチェンバロ、時代の異なる2台の鍵盤楽器の競演を聴かせた。「楽器の選択は直感。あえて違う時代の楽器を使ってみることだってある」
ほぼ半世紀にわたる古楽演奏の歴史を支えてきたのは、「歴史的オーセンティシティ(正統性)」という旗印だ。作品が生まれた当時の楽器、環境で演奏することで作品の本質に迫るという学究的な意思が、そこには働いている。
しかし今、古楽に取り組む多くの演奏家にとって、古楽はむしろ「こう聴くべき」という現代人の感覚がいかに凝り固まったものであるかを教えてくれる道しるべになっている。昔の演奏スタイルを突き詰めるほどに、音楽の聴き方がより自由に柔軟になってゆく。そんなパラドックスを体現しているのが現代の古楽奏者たちなのかもしれない。
イタリアのバイオリニスト、ジュリアーノ・カルミニョーラは、現代のストラディバリに、羊の腸でできたガット弦を張った特別な楽器を弾く。暑さや湿度に弱く、狂いやすいが「そういった悪条件も含め、すべてを反映する楽器の方が人間的で面白くないですか? 古楽は、音楽が人生そのものであると私たちに教えてくれるのです」。(吉田純子)