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カザルスホール閉館へ 愛された人肌の室内楽

2009年2月8日

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 ソフトとハードの両輪で、日本の音楽界に新しい風を吹かせた日本大学カザルスホールが来年3月、閉館を迎えることになった。02年に主婦の友社から同ホールを買い受けた日大が、キャンパスの再開発に伴い「使用停止」を決めた。

 「室内楽の殿堂」の建物と名前を、維持費を投じながら7年間守り続けてきた日大を、一概に責めるわけにはいかない。むしろ、連日のように内外の一流アーティストが演奏会を開き、多くのプロ楽団がしのぎを削る一方で、こんなささやかなホールがあっけなく姿を消す東京という街の「文化」の底の浅さを見たような思いがする。

 なぜ、カザルスホールは愛されたのか。それは、優れた音響というハードの魅力にも増して、若い才能を育てるという理念が聴衆に浸透し、理解を得られていたからにほかならない。大物頼みになりがちな音楽界で、室内楽という地味なソフトに徹底的にこだわる姿勢も共感を呼んだ。

 立役者となったのが、テレビ界の名物プロデューサー、故萩元晴彦さんだった。開演時間を午後8時にするなど、業界の「常識」をひとつひとつ問い直す一方で、アーティストや団体の個性を前面に出したシリーズ企画を次々に繰り出した。企画会議には、設計にあたった磯崎新さんも積極的に参加したという。

 「才能ある若手や中堅が、ちゃんと自分の力で育ち、またその挑戦を温かく、かつ真剣に見守る聴衆が増えるように。そんな萩元さんの思いに皆が一丸となった」と、当時主婦の友社副社長で初代支配人の石川康彦さんは語る。

 ホールに人肌のぬくもりをもたらした様々な戦略に、後発の民間ホールも触発された。例えば、ホールを拠点にする弦楽四重奏団を持つという発想は、95年開館の東京・四ツ谷の紀尾井ホール(800席)が、専属楽団「紀尾井シンフォニエッタ東京」を結成するきっかけのひとつとなる。「ホールをつくる以上、明確な主張を持たねばならないということをカザルスホールに教えられた」と町田龍一事務局長。

 00年にオープンした東京・飯田橋のトッパンホール(408席)の西巻正史企画制作部長も「クラシック音楽をバブルなものではなく、地に足のついた大人の楽しみとして根付かせる。そういう使命もホールにはあるんだ、と目を開かされた」と語る。

 指定管理者制度の導入などで今、日本各地の多くのホールがかじ取りに試行錯誤を重ねている。建物は消えても、聴衆に真摯(しんし)に向き合ってきたその志が音楽界全体に受け継がれてゆくことを、心から祈りたい。(吉田純子)

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