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JASRAC、市場独占の歴史 使い勝手考えた市場開放を

2009年2月28日

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 著作権団体・日本音楽著作権協会(JASRAC)に27日、公正取引委員会が排除措置命令を出した。しかし、JASRACのシェアが実は99%にも及ぶと聞くと、命令は今ごろなぜ、と思う人もいるだろう。そもそもこの団体は、どうして市場のほぼすべてを握るまでになったのか。

 協会の設立は70年前の1939年。目的は、当時の日本で活動していた、一人のドイツ人に対抗することだった。

 そのドイツ人はプラーゲ博士という。彼は31年、「録音権管理団体」の国際事務局の代理人として東京・神田に事務所を開く。英独仏など5カ国の音楽著作権団体の代理もつとめ、管理する外国の曲について、高額の使用料を請求したり楽譜を差し押さえたりした。

 NHKは博士との間で、ラジオでの楽曲の放送使用料の交渉が進まず、約1年も博士の管理する曲を流せなかった。そして博士は日本の作曲家らにも勧誘の手を伸ばす。

 国内の作曲家・演奏家と、著作権を担当する内務省はここで、「官民一体」で日本の著作権団体の設立を急いだ。39年、JASRACの前身の大日本音楽著作権協会が作られ、著作権の管理業務への参入は許可制とする「仲介業務法」も施行。協会の申請は許可され、プラーゲ博士に許可はおりず、彼はドイツに去った。

 以上の話は「日本音楽著作権協会60年史」による。すべてを信じれば、JASRACの設立には楽曲を使う側の意向が働き、市場独占は半ば国策だったと言える。著作権等管理事業法が施行され、制度上はJASRACの独占を認めない「方向転換」が起こるのは、ごく最近の01年だ。

 公取委は今回、JASRACに次のような指摘をした。放送局が、どの曲を何度使ったかとは無関係に、JASRACが放送局から年間放送事業収入の1.5%(地上波)を徴収する契約は、他の事業者の参入を妨害している――。一方、JASRAC幹部は反論する。「このやり方は放送局の利便性を重視したもの。1曲ごとに使用状況を調べれば、放送局側のコストが膨大になる」

 歴史を踏まえれば、こうした「どんぶり勘定」(ある民放キー局幹部)は、関係者同士が許容してきたものだ。そして、著作権管理の市場で競争が活性化しても、楽曲が使いにくければ意味がない。著作権者と、曲を使う側の双方に良いように、官民で改革する必要があるだろう。JASRACと他の管理業者や放送局が資金を出し合い、国も支援して、簡単に使用楽曲のデータを把握できるシステムを作るのも一案だ。

 JASRACも今後ますます公益性が求められる。例えば、著作権料の楽曲別の分配額や、その根拠となる徴収の細かなデータは、今は非公開だ。こうした手続きの透明性を高めることも急がれる。(赤田康和)

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