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がん患者のことばをリレー 「一粒の種」

2009年5月23日

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 一粒の種でいいから生きていたい――。あるがん患者の最期の言葉を女性看護師が聞き取り、「一粒の種」という詩にした。知人のシンガー・ソングライターに頼んで曲にしてもらったところ沖縄地区で話題になり、CDとして全国発売された。患者の死から5年。無念の言葉は残された人への励ましとなってリレーされ、広がり始めている。

◆看護師が詩、歌手が曲、CDに

 作詩した看護師高橋尚子さん(48)=川崎市在住=は神奈川県内の病院で、末期がんの中島正人さん(当時46)を担当した。中島さんは再発したがんが全身に転移した状態で、延命治療は望んでいなかった。高齢の両親を気遣い、見舞いを断って、ひとりで闘病していた。

 「つらいとか、どんな思いでいるとかまったく言わない。看護師として何をしたらいいのか悩みました」と高橋さん。

 04年1月、高橋さんが定時の見回りで病室に入ると、中島さんはベッドのかたわらに、ふらふらの状態で立っていた。高橋さんを見るなり、「死にたくない。一粒の種でいいから生きていたいよ」と絞り出すような声で訴え、大粒の涙をぼろぼろこぼした。高橋さんは衝撃で身動きができなかった。

 「死を受容していたかのようだったが違った。本当の姿を見た気がしました」。まもなく中島さんは昏睡(こんすい)状態に陥り、3日後、息を引き取った。

 血圧の高かった中島さんの母が、息子を失った心労もあって倒れた。高橋さんは、中島さんの最期の思いを「一粒の種」という詩にまとめ、歌にしようと思い立った。母親は言葉を発することができない状態と聞いたが、そういう場合も聴覚はちゃんと働いていることがあると知っていたからだ。

 高橋さん自身もその数年前に、がんの疑いで入院したことがあった。「子どもを置いて死ねない、どんな姿でも生きていたい、と私も思いました。中島さんの『生きていたい』という思いがわかった。あなたの思いは私が受け取る、私がその種をまこう、と思いました」

 高橋さんの詩は「一粒の種になりたい ちっちゃくていいから」と始まり、「土に根をおろし 芽をだして/樹になれ 花になれ/俺 人間の種になりたい」と訴える。終盤で語り手が変わり、「涙が痩(や)せた頬(ほお)を伝う/途切れざまに聞こえるあなたの声」。そして「私が一粒の種を蒔(ま)こう/あなたの 生きた命の種を」と終わる。

 高橋さんは、同じ沖縄・宮古島出身の友人であるシンガー・ソングライター下地勇さん(39)に曲を頼んだ。下地さんは一度は断った。「患者さんの無念の思いで胸が締め付けられるようだった。自分の死を身近に感じた人しか書けない詩。自分に曲はつけられない」。だが慕っていた叔父を亡くす経験を経て、考えが変わった。「もう一度必ず生まれ変わりたい」という願いの方に視点を置きかえ、「自分だったらきっとこう思う」という言葉を入れた。

 「痩せた頬にもう涙を流さないで/(中略)私は笑顔であなたを見ている」「命の種に必ずなるから/すぐそばにいるから」

 下地さんから高橋さんに私家版CDが届いたのは06年夏。高橋さんは中島さんの遺族に送った。歌を聴いた母親は、倒れてから初めて言葉を発したという。「だれが歌っているの」

 曲は下地さんがライブやテレビ番組で歌い、沖縄で話題になった。CD発売の依頼が届いたが、下地さんは「自分よりふさわしい人に」と思い、同じ宮古島出身で介護職の経験がある友人の歌手、砂川恵理歌さん(31)に声をかけた。

 砂川さんも、親しかったいとこを白血病で亡くしたばかりだった。初めて下地さんの歌を聴いたとき、「ニイニイが生きたかったといっている気がして涙がでた。運命を感じた」。

 タイトルは「一粒の種」。砂川さんは「作り手と聞き手の懸け橋になりたい」と話す。「スマイル・シード・プロジェクト」という名の、学校や医療施設を訪問するチャリティーコンサートを2月、沖縄から始めた。

 3月には、「母が末期がんで余命3カ月と告げられた」という娘(30代)から「歌の好きな母のために」と依頼され、病室でも歌った。母と娘は笑顔で「ありがとう」と言ってくれたという。「歌うたびにわたしが大きなものを受け取っている」と砂川さんは語る。

 「ここまで広がるとは……」と、最初の「種」をまいた高橋さんはいう。「それぞれの人が自分のストーリーとして、この歌を聴いてくれている。この歌が、必要とする人たちの元に届くといいなと思います」(伊佐恭子)

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