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体で突き進む、理論派 講談師・神田京子

2010年1月4日

写真神田京子=横井洋司氏撮影

 「今日、突然来たから、京子にしよう」

 師匠の二代目神田山陽のシャレが、そのまま芸名になった。この世界では若手の32歳で二つ目。二代目の亡き後、姉弟子の神田陽子に師事する。責任感が強く、研究熱心な理論派だ。

 生まれは岐阜県美濃市。中学3年生の時に「おもしろそう」と英語の弁論大会に出場、県内で優勝した。「発言の最後に、ウインクする演出が効いたのかも」

 アナウンサーを目指して日大芸術学部へ。朗読研究会に入るが、方言を持て余して断念。落語に目を転じ、20歳で東京・池袋演芸場に足を踏み入れた。そこで巡り合ったのが、万事、進取の風に富んでいた二代目山陽門下の女流の講談だった。

 張り扇がリズムを刻んでは、話の姿をきりりと引き締める。読みなす話の内容は、源平やら仁侠(にんきょう)やら。義理人情の話あり、西洋の偉人らの戦話あり。「いつしか、落語より講談の持つリズムに、引き込まれていった」

 そして忘れもしない1999年7月12日、新宿。「幕があくと、そこに山陽師匠。それだけで涙が流れて流れて。この人の伝えたいものを私も伝えようと決心した」。翌13日、89歳の山陽を訪ねて入門。亡くなるまでの1年間、最後の弟子となった。

 入れ歯の手入れから食事まで、ふだんは、山陽の身の回りの世話に追われた。時間が空くと、山陽の書斎にもぐりこみ、膨大な蔵書をひもといた。

 「心理学、哲学、女傑の本……。師匠が本に引いた赤線の跡がありがたくて、なめるように読んだ。体の衰えと反比例して、師匠の目の輝きは増していった。見つめ合い、手を握り合い、どんな形でもいいから師匠の芸を吸収したかった」と話す。

 「物語から現代にも通じるメッセージを読み取って、伝えたい。講談界の将来も、とっても心配。でも、こう考えると頭でっかちになっちゃって」。目下、「頭より体で突き進もう、と心がけている」と語った。(米原範彦)

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