自伝エッセーを出版した大沢あかねさん
「母ひとり、娘ひとり」
タレントの大沢あかね(23)が、芸能界を目指して母とかみしめた苦楽をつづる「母ひとり、娘(こ)ひとり」(幻冬舎)が出版された。鳴かず飛ばずの子役時代からカリスマモデルをへて、バラエティーに新天地を見つけるまでを赤裸々に記した。(アサヒ・コム編集部)
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■迷いなく、過去語る
2歳の冬、父が銭湯に行ったまま帰らなかった。3、4歳のころ、大阪・ミナミのスナックで働く母を、店のカウンターで待つこともあった。自称「ミナミに最も詳しいチビッコ」が苦労しつつも、温かだった母娘の風景から書き起こす。
売れっ子の今、過去を語ることに抵抗はなかったのか。
「何の迷いもなく生きてきた。急に過去を語ると、イメージが崩れるとか、嫌われるんじゃないかという人もいた。でも、新しい私を知ってもらうチャンスだし、こういう子がタレントやってるんだと発見もしてもらえれば」
恋多き母が連れてくる恋人たちは大嫌いだった、母の恋人の実家に預けられて嫌みをチクチク言われた、その母は一時期、昼はトラック運転手、夜はスナックで働いて暮らしを支えてくれたことも、文中で明かした。
祖父はプロ野球の元日本ハム監督で、「親分」こと大沢啓二。小2の大みそかに、大沢が北島三郎と「兄弟仁義」を歌う姿をテレビで見た。「私も、あそこで歌いたい」。それが芸能界を志すきっかけだった。
■「愛を乞う人」は財産
「いっぱいつらいことがあったからこそ、今の幸せな時間がある」。執筆を機に、改めて感じたという。
こんなこともあった。母と2人で、東京の古いモーテルに寝泊まりしながら映画「愛を乞う人」に参加。この秀作を「今も一番、好きな映画。親からの虐待とか、内容は明るくないですが、私の中では財産だし、誇りです」と言う。「チョイ役の私にも、真剣に演技プランを立ててくれたので感激した」と話す。主人公の少女が、その母にせっかんされる光景を見て、失禁してしまう友達の役。重要な演技だった。
中2の時、NHK「天才てれびくんワイド」にレギュラー出演し、東京進出の機をつかむ。中3から始めたローティーン雑誌「ピチレモン」のモデルとして人気を呼び、カリスマモデルに。「多い時は月2000通ぐらいファンレターが来て、500〜600通に手書きで返事を出した」。それでも、「専属モデルの女の子たちは、みんな私よりかわいかった。(私は)目が小さいし、背も低くて、ちっともカッコよくない」と書いた。
■「バラエティーが居場所」
自称「ワイワイ、ガヤガヤとうるさい娘」は、バラエティー向きといえそうだが、当初は「カリスマモデルなんかやってて、みんなからちやほやされていたので、モデルの私がバラエティーなんておかしくない? と生意気な瞬間もあった」と言う。「一番向かないと思っていたバラエティーが今、私の居場所になっているのが不思議で驚き」。人気バラエティー「クイズ!ヘキサゴン」で見せた珍回答ぶりが、オモロキャラを決定づけた。
Q 水陸両用で、船体を浮遊させて高速走行する乗り物は?
A 宇宙戦艦ヤマト!
「バラエティーは台本がないから、その日の主役が決まったら、みんなが集中する。話はどんどん転がり、感動や笑いがあって。個人プレーに見えて、団結していないとできないのはドラマや映画と同じ。深い世界です」
この本に託した思いを、誰に届けたい?
「特にお母さん世代、娘さん世代に読んでいただけたら。子育てが大変で娘との距離感が分からない親御さん、親の考えていることが分からないという同世代の人たちに、何かヒントをつかんでもらえたら。人はそれぞれ濃い人生を送っていて、それをいとおしむきっかけになればうれしい」と話した。