2009年12月7日
父が大好きだったという写真を手にする三波伸一さん=東京都中野区の事務所
画・書集「夢の途中」。ページをめくると、三波伸介さんの後ろ姿も
テレビ番組「笑点」の司会や、「お笑いオンステージ」の「減点パパ」のコーナーなどでお茶の間の人気者だったコメディアン三波伸介さん。そのひとり息子で喜劇役者の伸一さん(45)が亡き父の名を継ぎ、命日の8日、「2代目三波伸介」を襲名披露する。
「老後は、富士山のふもとに別荘を建てて、絵を描いてのんびりと過ごすのがおやじの夢だった。『2代目はお前に継がせるからな。覚悟して喜劇の道に励めよ』と言っていました」。伸一さんはそう振り返る。「初代 三波伸介 喜劇我命」と刻まれた大きな将棋の駒を、毎日のように磨かされたという。
脳裏には、あの日の出来事が焼き付いている。1982年12月8日。高校3年生だった伸一さんは、父が自宅で心臓発作を起こし、倒れたという知らせを学校で聞き、病院に向かった。だが、父は帰らぬ人に。52歳だった。
伸一さんは大学卒業後、本格的に喜劇を志した。98年にはコメディー劇団「萬天館(まんてんかん)」を旗揚げ。「三波伸介の息子」という重圧につぶれそうになることもあったが、父の笑顔を思い出し、自分を励ました。座長として軽演劇やコントを続け、映画やテレビドラマにも出演した。
2代目を襲名しようと思ったきっかけは2003年、母親の死だった。「亡くなる直前でした。おふくろがおれの手を握って『お父さん、迎えにきてくれたのね』と。おやじに似てきたんだなあと思った」
その後、修業を重ねて三波伸介という名に恥じない喜劇役者になれる自信が持てたため、今年、襲名を決意したという。
漫才協会の先輩や関係者と相談を重ね、今月8日に襲名披露宴と記者会見を開く。父とともに「てんぷくトリオ」で活躍した喜劇俳優の伊東四朗さん(72)からも「少しでも近づけるよう頑張れ」とアドバイスを受けたという。
襲名にあわせ、伸一さんが監修した「三波伸介画・書集 夢の途中」(イーステージ出版、税込み1995円)と題した本も出る。寝ても覚めても喜劇のことしか考えなかった父が、心のよりどころとしたのが絵画や書。自宅倉庫に眠っていた作品をまとめ、一点一点に伸一さんが解説をつけたという。
「日本一の喜劇役者になるという夢の途中でおやじは旅立った。おやじの思いを受け継ぎ、『平成の喜劇王』になるのがおれの夢です」(小泉信一)
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襲名披露宴は8日午後7時から東京ドームホテルで。
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〈初代三波伸介〉 1930(昭和5)年、東京・本郷に生まれた。少年時代から浅草や日比谷の興行街を歩き、児童劇団に在籍。戦後、日大芸術学部へ進むが中退。やがて「新宿フランス座」に入る。戸塚睦夫や伊東四朗と出会い、62年には「てんぷくトリオ」を結成し、一世を風靡(ふうび)した。お笑い番組の司会も数々務め、国民的人気のコメディアンになる。「昭和最後の喜劇王」とも呼ばれ、「びっくりしたなあ、もう」は流行語となった。