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江戸空間の華麗な魔術 建て替えの歌舞伎座、千秋楽迫る

2010年4月26日

写真ロビーには歴代の名優の胸像が並ぶ=東京都中央区、上田潤撮影

 歌舞伎座(東京・銀座)の建て替えが迫ってきた。16カ月続いた「さよなら公演」も28日が千秋楽。30日の閉場式をもって、いまの建物は歴史を閉じ、3年後、新劇場がお目見えする。「演劇を鑑賞する場所」という枠に収まらない魅力をたたえる歌舞伎座という場。その過去、現在、そして未来を2回にわたって考える。

 通い慣れた劇場への名残を惜しんで。建て替え前に一度は見ておきたくて。

 様々な思いで観客が詰めかけ、「さよなら公演」は大入りが続く。特に今月は、大御所から若手まで人気俳優がずらりと顔をそろえ、重厚な義太夫狂言、豪華な舞踊、名せりふと江戸の美が咲き誇る名作が、次々と舞台にのぼっている。客席の空気もひときわ熱い。

 芝居以外の楽しみも多い。

 瓦屋根に白い壁、赤いちょうちんや絵看板が彩る建物は、ビルが立ち並ぶ銀座の街で異彩を放つ。玄関前は写真撮影の人気スポットだ。初めて見るとぎょっとする、にぎやかな装飾が、大都会の中の「異空間」を演出。見る者をわくわくさせる。

 幕あいには食事やお菓子。売店でお土産を探すのもおもしろい。ロビーにある名優たちの胸像や写真を見て、受け継がれてきた芸の命脈に思いをはせることもできる。

 観劇を核に、ゆったりと豊かな時間を過ごす。こんな場所はめったにない。

 比較演劇学が専門の早大名誉教授、河竹登志夫さんは歌舞伎座の第一の特色を「祝祭性」と語る。「晴れ着の女性客が多いことが象徴していますよね」

 「江戸文化は日本の伝統の集積と考えられますが、それが関東大震災で消えてしまった。その失われた『江戸』が、歌舞伎の中には生きている。その本拠地であることが歌舞伎座の重みです。江戸時代の人々は芝居を見ながら舞台とともに生きている気分だったでしょう。現代の観客にその感覚はないですが、芝居の空気の中に入りこみたいという願望はある。歌舞伎座はそれに応える貴重な空間です」

 舞台の形も、観客を芝居の中に誘いこむ。

 歌舞伎座の舞台は、高さ6.4メートル、間口27.6メートルと、極端に横長だ。高さがほぼ同じの国立劇場大劇場(東京・三宅坂)に比べて間口が5メートル以上広い。

 さらに、絵巻物を広げたような舞台から、客席に向かって18メートルの花道が伸びる。観客の視界いっぱいにパノラマのように芝居の世界が広がる。

 こんなに大きいのは、明治期に「日本を代表する立派な劇場を」と建設された精神の反映だし、大正期の建て替えで、客席が増え、舞台もさらに広くなっている。江戸以来の伝統というわけではない。しかしそれが、いまでは最も歌舞伎らしいサイズと受け止められている。

 日本俳優協会の会長でもある中村芝翫(しかん)さんは「広いと思ったことはないですね。子供の頃から出ているので、逆に他の劇場を狭いと感じます。もちろん地方の劇場もいいのですが、やはり歌舞伎座に戻って舞台の真ん中に立つと、自分の家に帰ったようにほっとします」と言う。

 見る側も演じる側も、ここにこそ歌舞伎の伝統が息づいていると感じる。歌舞伎の魅力の一つである「過剰さ」は、破格の広がりを持つ歌舞伎座の舞台で、より一層、観客に強く訴えかける。そこに立ち現れる、幻の「江戸」。歌舞伎座という場が生み出す魔術である。(山口宏子)

    ◇

 《歌舞伎座》歌舞伎座は明治半ばの1889年に建てられた。初めは西洋建築だったが、近代的な帝国劇場ができたこともあって1911年に純日本風に改築。2年後から、松竹が経営に携わる。21年に火災で焼失したが、桃山風の壮麗な鉄筋コンクリート造りに再建された。

 45年5月の空襲で再び焼け落ち、50年に完成したのが4代目のいまの歌舞伎座だ。外観には前の建物の面影を残し、客席は4階まで約2千席。再建から60年とこれまでで最も長寿だが、戦災に遭った建物の一部を利用したことなどもあって老朽化が進んでおり、松竹は2008年秋に建て替え計画を発表した。

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