「愛妻が亡くなり、残りの人生、好きなことを」と、三重県津市の小学校教諭が選んだ道は落語家だった。古典落語とともに「命の大切さ」「身近な人権」といった重いテーマも穏やかに語る。評判は口コミで広がり、アマチュア噺家(はなしか)の公演は、いまや年120回を数える。
「桃から人が生まれたら、八百屋さんがうるさくてかなわんやろ。こっちでオギャア、あっちでもオギャア」「そうやなあ。お父ちゃんもおかしいと思ってたんや」
津市上浜町の切磋(せっさ)亭琢磨(たくま)さん(56)が6日、市内の小学校のPTA主催の公演会で古典落語の「桃太郎」を披露すると、父母らから笑いが上がった。
一席終えると、20年ほど前の教員時代の思い出話が始まった。4年生に重い心臓病の子がいた。同級生たちが手術の成功を祈って5千羽の折り鶴を贈ったが、亡くなった。「命はたった一つ。死んだ者、残された者、ともにつらい。私も妻をなくしており、そのことをしみじみ思う」
本名は石崎豊さん。静岡大学1年生のとき、落語サークルに入会し、おもしろさに引き込まれた。「お客さんの笑い声が気持ちよくて。自分で考えたギャグがウケると、もう至上の喜び」
高校卒業まで暮らした津市で小学校の教壇に立ちながら、大学時代の友人ら数人と落語愛好会「寝床の会」を結成した。全学年対象の書き方の授業を5分早めに切り上げ、子どもたちを前に古典落語をやったこともある。
教師を辞めたきっかけは、大学の落語サークルで知り合った妻園枝さんの死だ。乳がんが見つかって手術したが、肝臓などに転移し、入退院を3年間繰り返した末の03年、49歳でこの世を去った。
闘病生活のさなか、園枝さんは「生きたくても、生きられない」と何度もつぶやいた。02年には2回、落語会の舞台で初めて夫婦で共演し、園枝さんが末期がんとの闘いを語ったこともある。
「妻の一周忌を終えたころから『人間、何が起こるかわからない。好きなことに全力を尽くそう』と思ってね」。06年、54歳で早期退職し、落語家として人生の再スタートを切った。
小中学校や公民館の公演で、子どもたちを前にすることも多い。子どもの喜ばせ方はお手のものだ。ジャズバンドや琴の達人を呼び、演奏にのせて落語をやる。友人から「人権と落語を織り交ぜてみれば」とアドバイスを受け、人権などのテーマも取り上げるようにした。
「夫は山で芝刈り、妻は川で洗濯。これは逆ではだめなのでしょうか」
妻との思い出を舞台で話せるようになったのは昨年ごろからだ。「妻に言いたかったこと、してやりたかったことがいくつも残っている。その悔やむ思いを、お客様がよりよく生きる一助にして欲しい」
公演料収入は教諭時代の半分以下だ。3人の子どもは社会人になり、貯金を切り崩しながらの生活が続く。「でも、教員をやめて病気にならなくなった。寄席には代役はいないから気ぃ張ってるんやろな。やりがいがあるわ」
退職後、大阪にある上方落語の定席「天満天神繁昌(はんじょう)亭」の落語家講座で月に2回ほどプロの指導を受ける。自らを「社会人落語家」と呼ぶ。(信原一貴)