故稲葉守治さん(中央)を囲む柳家三三(左)と柳亭市馬=08年9月、篠崎写す
若手を育てる落語会を30年にわたって手弁当で続けてきた東京の稲葉守治さんが10日、肝臓がんで亡くなった。75歳だった。13日の告別式には、故人に育てられた落語家が集まって別れを惜しんだ。
稲葉さんは、見どころのある二つ目を出演させる「日本演芸若手研精会」を79年から月例で開催。3月5日に開いた会が第331回だった。
ここから巣立った落語家は柳家さん喬、三遊亭楽太郎、三遊亭小遊三、五街道雲助らベテランから、林家たい平、柳亭市馬、柳家三三らまで、そうそうたる顔が並ぶ。稲葉さんは彼らの活躍を喜び、友人には「おれには見る目があるみたいよ」とうれしそうに語っていたという。
一方で、稲葉さんは決して楽屋には入らず、打ち上げにも出なかった。「僕が行けば出演者たちが硬くなってしまう」と説明していたが、「スポンサー顔をしたくない」というのが本心だった。
落語家の芸に注文もつけなかった。「僕らにはお客の入りの心配もさせない。芸に集中する環境だけを作ってくれた」と柳家三三は振り返る。
05年春にがんが見つかったが、入退院を繰り返しながら会を続けた。昨年9月には落語家たちが激励しようと「生前葬落語会 稲葉さんさよなら公演」を企画。市馬、三三らが出演した。稲葉さんは最後列の席で落語を楽しみ、珍しく打ち上げに出た。
稲葉さんが最後に応援していたのが二つ目の春風亭一之輔だった。5月10日に「らくだを聴く会」と銘打った一之輔の独演会を計画していた。
「らくだ」は、真打ちが演じる大きな演目。チラシには「生きていりゃ、聞いてみたいものだ。いや、なんとか見届けたい」と書いた。そのチケットがほぼ完売して喜んだ直後に病状が悪化した。
一之輔は「どこかで聞いていてくれると思います」。くさい落語を嫌った稲葉さんを思いながら淡々と演じるつもりだ。(編集委員・篠崎弘)