2009年10月30日
07年2月、「芝浜」を披露する三遊亭円楽さん。この後に引退を表明した=東京都千代田区の国立演芸場
07年2月25日、「芝浜」を終え、観客にお辞儀をする三遊亭円楽さん=東京都千代田区の国立演芸場
07年2月、高座後の記者会見で引退を表明する三遊亭円楽さん=東京都千代田区の国立演芸場
人生哲学をにじませた正統的古典落語を得意とし、テレビ番組「笑点」の司会などでも人気を集めた落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日、肺がんのため死去した。76歳だった。葬儀は近親者らで行う。喪主は妻和子さん。
東京・浅草の寺に生まれた。55年に六代目三遊亭円生に入門して「全生」。62年に真打ちに昇進して五代目円楽を襲名した。66年に始まった日本テレビ系「笑点」で立川談志とともにお茶の間の人気者になった。ゆったりと構えて出演者を引き立てながら要所を締めるメリハリの利いた司会ぶりが持ち味だった。
60年代には「星の王子様」「湯上がりの顔」などのキャッチフレーズで親しまれ、談志、古今亭志ん朝らとともに「四天王」として、当時の落語ブームを引っ張った。
78年に真打ち制度をめぐって師匠の円生が落語協会を脱退した際に行動を共にし、円生の死後は「大日本落語すみれ会」(後に「円楽党」「円楽一門会」)を結成した。協会脱退で寄席の定席から締め出されたため、85年に6億円の私財を投じて東京都江東区に寄席「若竹」を開設。弟子たちの修業の場としたが、経営難で89年に閉鎖。独演会や講演などで多額の負債を返済した。
端正な語り口を売り物とする古典落語の第一人者。晩年は「芝浜」「紺屋高尾」「中村仲蔵」など、教訓に満ちた演目を好んで演じた。
落語界きっての博識でも知られた。政財界にも人脈が広く、教育問題に関する著書もある。参院選への立候補が取りざたされたことも。時事問題に関しても積極的な発言を続けた。
長く腎臓を患い、05年に人工透析で通院していた病院で脳梗塞(こうそく)の症状が現れて入院。06年に「笑点」の司会を勇退した。07年2月25日に東京・三宅坂の国立演芸場での「国立名人会」で大ネタ「芝浜」を口演したが、高座の後で出来に満足できないと現役引退を表明。同年10月に胃がんがわかり慶応大学病院で手術を受けていた。
弟子に三遊亭鳳楽、好楽、楽太郎らがいる。