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「舞台姿に男感じた」円楽さんの長男、最後の日々を語る

2009年10月30日

 29日に死去した落語家三遊亭円楽さんの東京都中野区の自宅では、悲報が流れた30日に長男の吉河寛家さん(44)が「1人の父親として尊敬すべき人。とにかくかっこよかった。舞台に上がったその姿が男を感じさせた」と思い出を語った。

 寛家さんによると、今年5月にがんが再発。9月に再入院し、入院3日目には脳梗塞(こうそく)を起こし、右手右足が動かなくなった。その後、帰宅と入院を繰り返し、今月23日に寛家さんの自宅に戻った。25日はNHKの大河ドラマ「天地人」をみんなで観賞。2人の孫から「ディズニーシーに行きたい」とせがまれたが、「最期が近いと覚悟していたのか、うなずきませんでした」。

 26日に病院で人工透析をしてから帰宅。疲れている様子で夕食が食べられなくなった。28日には流動食も水も口に出来なくなり、29日朝、妻と長男家族、医師らに見守られながら、息を引き取ったという。

 寛家さんは、「家庭に帰れば家族思いで最近は孫をかわいがっていた。一方で、芸に向き合う姿勢は厳しかった。だが、楽太郎さんに円楽を襲名してもらうことを決めた後は肩の荷が下りたようだった」という。「笑点」を降板後はテレビで弟子たちの活躍を見るのを楽しみにしていたという。

 中野区の円楽さんの自宅には30日、車いすの昇降用のエレベーターが完成した。しかし円楽さんに使われることはなかった。

         ◇

 日本テレビ系の「笑点」をともに国民的番組に育てた桂歌丸さんは、横浜市の自宅で噺家(はなしか)らしく冗談も交えながら「がっくりきてます。大きな落語界の柱を失った」と円楽さんを静かに悼んだ。

 最後に会ったのは、1年前の円楽一門会の楽屋。透析など療養中だったので、「落ちこんじゃだめよ」と励ました。「そうしたら、『ワハハハ』とあのおおざっぱな笑いで、『歌さんは元気だね』と言われました」という。30日には円楽さんを元気づけようと見舞うつもりだった。「だから(悲報の)電話が来て、びっくりしちゃった」

 「笑点」も、昔はいつ終わるか分からず苦しかったが、とにかく「陽気に行こう」と話し合ったという。08年に正式に司会を交代する際は、「歌さん、あと頼む」だけだった。「古く一緒にいる夫婦と同じような長いつきあいだよね。口きかなくても心持ちがわかる」

 戦中、戦後の、笑いも何もない時代をへて、噺家を志した。「その信念はお互い持っていた」。今年12月には、円楽さんにもらった「中村仲蔵」を国立演芸場で披露する準備をしている。「円楽さんをしのんでおしゃべりしたい」と自分に言い聞かせるように話した。

 最後に「お疲れさまでした。落語界を、ご一門を見守ってください。残念ですが、いつまでも悲しんでいると、円楽さんは怒るでしょう。もっともっとお客様を笑わせてくれ、大事にしてくれ、と」と結んだ。

         ◇

 円楽を襲名する三遊亭楽太郎さんの話 師匠の訃報(ふほう)に、ただただ悲しい思いをしております。9月3日の大師匠円生の命日の墓参の後、師匠宅で1時間ほど話したのが面会の最後でした。近日中にお訪ねする予定をしておりました。師匠の急変に間に合わなかったことが断腸の思いです。来年3月の六代目の円楽襲名に師匠がいないこと、さみしさと重い責任を感じています。(博多天神落語まつりの)公演中であり、お客様、仲間への対応に頑張って仕事をすることを師匠も望んでいると思います。

         ◇

 「笑点」で長く共演した林家木久扇さんの話 最後に会ったのは2年前で、襲名の相談に行ったところ「私が決めたら、君は義理を感じて、そうしちゃうんじゃないか。名前っていうのは自分でいいと思ったものを選ばないとお互いに後悔するよ」と諭された。古武士というか、俯瞰(ふかん)して物事を考える人で、ちまちましていなかった。私が入門した時からかかわりあいがあって、一門ではないけれど芸の父親で恩人。落語の中で「こういう生き方もあるんだよ」と、人生を語ってくれた。そういう落語のやり手がいなくなっちゃって、ものすごい損失です。

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