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端正な語り口、完璧主義貫いた円楽流

2009年10月31日

 29日に亡くなった三遊亭円楽さんは、テレビの落語ブームの先頭を走ってきた。「星の王子様」「湯上がりの男」などのキャッチフレーズで人気を博した。「笑点」では1983年から2005年まで司会を務めた。出演者を引き立てながら要所を締め、テレビのスピード感にも対応した機転を見せた。

 師匠・円生譲りの端正な語り口の、古典落語の第一人者。晩年は「芝浜」「紺屋高尾」「中村仲蔵」など、教訓に満ちた演目を好んだ。

 引き際も完璧(かんぺき)主義を貫く円楽さんらしかった。05年に脳梗塞(こうそく)で入院して06年に「笑点」を勇退。07年2月25日、国立演芸場の「国立名人会」で大ネタ「芝浜」を演じたが、「出来に満足できない」とその場で引退を表明した。

 実は円楽さんはその前年10月、大阪での小さな落語会に出た。進退をかける国立名人会の準備だった。演じた「紺屋高尾」はいい出来と思えたが、本人は「納得いかない」と繰り返した。芸に関しては自分にも他人にも厳しい人だった。

 引退後に円楽さんの自宅を訪ねると、昔の寄席の思い出から古今の落語家のエピソードまで、興味深い話が尽きなかった。その芸談だけでも高座で聴きたいと何度か水を向けたが、固辞された。

 昭和の落語には2人の名人がいた。高座で寝込んでも喝采を浴びた古今亭志ん生と、たった一度絶句しただけで高座を去った八代目桂文楽だ。円楽さんは文楽と自らを重ねていた。円楽さんに志ん生の自由奔放さがもう少しあれば、高座生命はもっと長かったに違いない。

 応接間にお孫さんのおもちゃがたくさん置かれて、「もうすぐ孫が帰ってくるんです」と待ち遠しそうなこともあった。お目にかかるたびに表情から精進を続けた芸人の厳しさが抜け、穏やかになっていくのはほほえましかったが、もうこの名人の落語は聴けないのだと念を押されるようで、寂しくもあった。

 円楽の名前は来年春に楽太郎が継ぐ。円生の名跡は鳳楽が襲名の段取りだ。最後の直弟子の王楽もこの10月に真打ちに昇進した。一門に気がかりがなくなったのが、せめての慰めだ。(篠崎弘)

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