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ステージレビュー

2つの星組公演(1)『外伝ベルサイユのばら―ベルナール編―』

2008年12月5日

  • 文:榊原和子/撮影:岸隆子

写真「外伝ベルサイユのばら〜ベルナール編〜」より=梅田芸術劇場、撮影:岸隆子

写真「外伝ベルサイユのばら〜ベルナール編〜」より=梅田芸術劇場、撮影:岸隆子

 安蘭けいと遠野あすかの退団が発表された。そのあとに観ることになった2つの星組の舞台は、いい意味で対照的なものだった。作・演出家のカラーの違い、主演コンビと次世代チーム、空間を占めていた空気も含めてある意味では現在の星組を、そして宝塚そのものを俯瞰するような2公演だともいえる。まずは全国ツアー『外伝ベルサイユのばら』の話から始めよう。

外伝のファイナルを飾る
星組『外伝ベルサイユのばら〜ベルナール編〜』

 3作目にして、スピン・オフらしさを発揮できた『外伝ベルサイユのばら』だった。

 池田理代子の原案と植田紳爾の脚本・演出による外伝シリーズは、雪組の「ジェローデル編」と花組の「アラン編」を受けて、この「ベルナール編」で一応の完結を見た。前2作では、原作と新台本とのツギハギ感や、ナポレオン暗殺という通しテーマの求心力のなさを、演じ手たちの踏ん張りでなんとか見せていた。だがこの「ベルナール編」は、幸いなことに原作とあまり乖離せずに「外伝」である自由さを盛り込み、『ベルばら』から派生してなお独立したドラマとしての形を見ることができた。

 成功の大きな原因の1つに、オスカルという人気キャラを原作のイメージを損なわずに登場させたことがあるだろう。前2作のオスカルは、「女性」の部分が多く描かれすぎていた。それは、ジェローデルとアランという、オスカルを愛する男たちが主人公だったことが要因の1つだろう。その点、義賊の黒い騎士=ベルナールと同志的友情を結ぶオスカルは、その凛々しい部分を全面的に打ち出せることになった。

 またオスカルとベルナールの結びつきをプロセスを追って描くことで、その周辺の人物たちもうまく描き込めることになった(しかも説明ゼリフではなく会話のなかで)。黒い騎士が目を傷つけたアンドレ、オスカルを慕いつつベルナールに惹かれるロザリー、オスカルを愛するジャルジェ将軍やマロングラッセという存在、また宮廷の華やかな貴婦人たちや近衛隊隊士、ベルナールを囲むパリ市民たちも、物語の展開になんらかの関わりを持っている。こんなムダのない『ベルばら』は、本編も含めて滅多にない。

 起承転結が時間の進行とともに進む気持ちよさのなかで、安蘭がベルナールをリアルに生きて引っぱり、ロザリーの遠野あすかが寄り添い、他の出演者たちが厚味を加える。3作目だからこそ可能だった明るさに満ちた結末も含めて、まさに『外伝ベルばら』のファイナルを飾るにふさわしい心に残る舞台となった。

 安蘭けいは、これまでの『ベルサイユのばら』のどの役よりも自由にベルナールを生きている。「ベルばら役者」として、主な役どころは何度も演じている安蘭だが、この人のすごさは2006年の上演あたりから、「安蘭けい的リアリズム演技」を、大芝居の『ベルサイユのばら』世界で貫き通してしまったことだろう。

 セリフ術に「セリフを歌う」という表現があるが『ベルばら』特有の「歌うセリフ」を歌わずに成立させてしまったのは、元花組の安寿ミラと安蘭けいくらいである。そのリアルなセリフ術が、今回の「ベルナール編」ではとくに有効だった。

 ベルナールは、英雄でも革命の殉教者でもなく、一介の新聞記者でありロザリーの夫として生きる市井の人である。だがその市井の人が主役になるのがフランス革命であり、革命後の平和な日々なのである。そんな一介の市民のベルナールを、安蘭けいは血を通わせて魅力的に造型した。オスカルやアランに対する男らしい友情や敬意、ロザリーに見せる男の可愛さや優しさ、人間くささを魅力にした安蘭ベルナールは、男としても「外伝」の主役としても十分に魅力的だった。

 遠野あすかのロザリーの成功は、安蘭けいのリアリズム演技に歩調を合わせられたところだろう。それは遠野自身にもある資質だし、加えてこれまで『ベルばら』出演経験が少なく、大芝居を身につけなかったことが逆に幸いしたともいえる。娘役演技の手本のようなオスカル邸での無邪気で可愛いロザリー、女役の佇まいと落ち着きを見せた10年後のベルナール夫人、遠野のキャリアの集大成がロザリーという女性像に集約されていた。ナポレオン暗殺決起の日をめぐる顛末では、妻としての葛藤もあまさず表現して、ドラマの舵取りともいうべき役割をきちんと果たした。

 この「外伝」で大きな存在となったのが涼紫央のオスカルである。前半ではベルナールと同じくらい出番があるのだが、地位の高さを感じさせながら出過ぎず、清々しいオスカル像で観客の期待を裏切らない。特筆すべきは、たくまずしてフランス貴族の空気感を漂わせるところで、トランプをさばく優雅な手つき、ロザリーとの自然な上下感などは、オスカルを何回か経験したこの人ならではの品のよさを感じせてくれた。

 立樹遥は、前半でアンドレ、後半でアランを演じているが、アランのほうが圧倒的に似合っている。アンドレ役では眼帯のせいもあって、表情が見えにくく残念だ。場面的にも少ないなかで、ソロの「愛の墓標」でアンドレの愛をかろうじて表現していたのが印象的だった。髪型も含めてもっと二枚目で色気のある役作りにしてもよかったかもしれない。そうすれば男くさいアラン役との対比が際立っただろう。将軍となったアランはみなしごたちへの愛情やベルナールへの思いも含めて風格があり、後半のドラマを動かす1人となり得た。

 専科から特出の箙かおるはオスカルの父のジャルジェ将軍。娘を愛する親バカな部分と将軍という貫禄を矛盾なく演じている。万里柚美は宮廷でオスカルを取り巻くなかで、一歩抜きんでた知性ある大公妃。黒い騎士に宝石を盗まれて騒ぐ貴婦人に朝峰ひかりと百花沙里が扮し、カリカチュアライズされた演技を見せる。この大騒ぎがやがてベルナールとオスカルが結ぶ固い絆の伏線なので、本編でかつて登場したモンゼット・シッシーナ夫人よりは意味のある登場だ。その周りにいる毬乃ゆいと琴まりえはスタンダードな宮廷夫人で花を添えている。

 前作の『スカーレット・ピンパーネル』でもロベスピエール役だったにしき愛が、今回は志を持つ革命家として登場。前回はパーシー役で敵だった安蘭ベルナールと並んで市民たちを鼓舞する演説をしている。そんなシーンに楽しみがあるのも宝塚ならでは。

 オスカルの乳母のマロングラッセは美稀千種で、男役の片鱗も見せないかわいい乳母ぶり。市民の場面などでは男役に戻り細かい芝居をしている。

 中堅と若手たちは貴族から市民までいろいろと忙しいが、近衛隊士も衛兵隊もやってしまう4人は、天霧真世、彩海早矢、天緒圭花、麻尋しゅん。さらに彩海と麻尋はアラン付きの下士官まで演じている。

 ベルナールと同じ新聞記者のルシアンに夢乃聖夏、革命の場面で先頭を踊り撃たれるのは壱城あずさ。そのほか市民の男に一輝慎、朝都まお。貴族や市民の女に梅園紗千、花愛瑞穂、初瀬有花、妃咲せあら、華苑みゆう、八汐ゆう美、花風みらいらがいる。革命も踊ってみなしごにもなっているメンバーは、男の子が茉莉邑薫、大輝真琴、千寿はる、真月咲、女の子が白妙なつ、南風里名、優香りこ、琴城まなか。今回初めて出てきた孤児たちへの視点が革命の混乱のむごさを感じさせることになった。

 この『外伝ベルサイユのばら〜ベルナール編〜』は、試行錯誤だった前2作での欠陥をうまく修正してある。時制をムダにいじらず、軸になるキャラクターたちの心情にブレがない。そういう意味では「ジェローデル編」と「アラン編」の出演者は苦労が多かったかもしれないが、大テーマである革命10年後のフランスを描くこと、『ベルサイユのばら』の脇役を主役に繋げて1つの絵にするという意図は、3連作だからこそ成立していたといっていい。

 そんな3作に続いて来年2月の中日劇場公演で「アンドレ編」というスピン・オフがまた追加された。アンドレを主役にしたバージョンはすでにあるが、マリーズという役の陽月華をムリなく描き込めるかどうかが、今回の仕上がりに関わってきそうだ。必要以上にコンビや相手役という形にしばられず、まずは原作の人物像のイメージを損なわないこと、また物語の整合性になによりも配慮してほしい。そしてこの「ベルナール編」と同様、スピン・オフならではの人間ドラマを見せてくれることを期待したい。

⇒(2)「ネオ・ダンディズム!III」に続く

写真写真拡大「外伝ベルサイユのばら〜ベルナール編〜」より=梅田芸術劇場、撮影:岸隆子

写真写真拡大「外伝ベルサイユのばら〜ベルナール編〜」より=梅田芸術劇場、撮影:岸隆子


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