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ステージレビュー

宝塚月組と雪組、若い作家の「罪」についての2公演

2009年1月28日

  • 文・榊原和子/写真・岸隆子

写真月組公演「夢の浮橋」=撮影・岸隆子

写真月組公演「夢の浮橋」=撮影・岸隆子

写真月組公演「夢の浮橋」=撮影・岸隆子

写真拡大月組公演「夢の浮橋」=撮影・岸隆子

写真拡大月組公演「夢の浮橋」=撮影・岸隆子

写真拡大月組公演「夢の浮橋」=撮影・岸隆子

 年明けの東京では、2つの宝塚歌劇団公演があり、質、動員ともにどちらも好調で、幸先のいいスタートとなった。
 東京宝塚劇場の本公演は月組『夢の浮橋/Apasionado!!』(2月8日まで)、そして1月14日に終了した赤坂ACTシアターの雪組『カラマーゾフの兄弟』である。その2つの公演で、『夢の浮橋』の大野拓史と『カラマーゾフ〜』の齋藤吉正が、ともに人間の「罪」について考える作品に仕上げているのは興味深い。先が見えない今という時代のせいか、それとも退団した荻田浩一なども含めて、新ロスト・ジェネレーション=70年代以降に生まれた人たち、が抱える共通の意識なのだろうか。いずれにしても、名作を自分の視点に引き寄せ、かつ優れたエンターテインメントとして成立させている作家たちの、これからの作品作りが楽しみになってきた。

虚空を掴む指の先にあるものは〜月組公演『夢の浮橋』

 大野拓史にとって大劇場での本格的デビュー作品である。演出だけなら2005年の『飛鳥夕映え』があるが、作・演出ではこれが初になる。1999年のバウホール公演『エピファニー─「十二夜」より─』でデビュー、主に日本史の、それも表に出てこないエピソードを好んで素材にしてきた大野が「源氏物語」を上演するわけだから、ポピュラーでなく厭世的といわれる「宇治十帖」を選んだのはうなずける。そして出来上がった『夢の浮橋』は、本編の「源氏物語」や光源氏のついての批評性を含んだユニークな作品となっていた。

 ストーリーを簡単に説明しておこう。光源氏崩御から数年経った頃、宮中では今上帝の第三皇子・匂宮と、源氏の末子・薫が、青年貴公子として人気の中心にいた。ある夜、華やかな宴が開かれている最中に、匂宮は薫が姿を消したことに気づき、薫が宇治に女人を囲っていることを知った匂宮はその邸を訪れる。そこに住んでいたのは、薫がかつて愛した大君に生き写しの浮舟という女性だった。好奇心からかその邸に何度か足を運ぶ匂宮。次第に打ちとける浮舟に彼はいつしか心惹かれていく。

 全54帖の「源氏物語」のなかで、巻名だけ残っていて本文がないため謎の帖と言われる「雲隠」、その名を最初のシーンにつけているのは大野らしい企みだ。魂の抜けたような六条院(光源氏)や、子供時代の匂宮と薫の競い合い、罪の子と呼ばれる薫など、この作品の底流に流れる“闇”をそこで見せ、ただの王朝ロマンではないことを暗示している。

 一転して、“闇”を拭うように華やかにきらびやかに展開する「殿上淵酔の宴」。日本物の見せ方に強い大野ならではのオープニングである。

 本来の「宇治十帖」の主役は薫の君である。だがこの舞台では匂宮が主役になっている。そのアレンジは、瀬奈じゅんの色気を生かすだけでなく、“光源氏に似て非なる匂宮”という形をとることで、光源氏の生き方への批判になっている。

 「源氏物語」を愛読する人のなかで、女人たちは好きだけれど光の君は愛せないという人は少なくない。極言するなら、マザコンで権力志向で、エゴイズムから女性たちを縛りつけ、最愛の紫の上でさえ出家という安らぎを与えないまま死なせてしまう身勝手な男だと言える。

 一方、この舞台の匂宮は、育てられた紫の上の視点から彼らの愛憎を見てきた。だからプレイボーイを建前にしてはいても、光源氏と同じ道をたどるのを恐れ、愛することを“罪”と感じている。

 また、薫は生まれながらに“罪”を背負っている。母である女三の宮の不義による罪の子という負い目は、薫のアイデンティティを見失わせて、彼は等身大の自分を恋人に見せられない苦しみを生きている。

 匂宮と薫という、ともに光源氏の愛のエゴイズムによって生き方を曲げられた2人の青年が、浮舟という宮中の外にいる女性=心を露わにできる対象に出会い、それぞれ自分を縛りつけていた“罪”や“畏れ”に向き合い、現実に一歩踏み込むことになる。その発見と成長の物語を見せるのが、この『夢の浮橋』なのである。

 その過程で、“個人と状況”のせめぎ合いも描かれるのが大野作品で、この舞台では、個人の幸せなど許されない立場に生まれた匂宮が、“状況”と闘いつつも最終的には“形代”となる、つまり傀儡子(くぐつ)たちに見せられた“からくり人形”のようになって生きるしかないと覚悟を決める、その葛藤を、宮中内の政争や庶民のエネルギーなどを見せながらリアルにシビアに描き出している。

 ラストシーン、自らを日嗣(棺)の皇子と宣言し、階段を一段一段上がる匂宮が、振り返り手を伸ばす、その虚空を掴むような指先が切ない。

 ところで、能の“橋がかり”は、この世とあの世をつなぎ、夢と現(うつつ)の間に掛かる“夢の浮橋”でもある。最後の場面で匂宮が上っていく階段もまた同様に“夢の浮橋”に見立てられるのだが、では匂宮にとって、どちら側が夢でどちら側が現なのだろうか。そんな問いを投げかけて余韻の深いラストシーンである。

 主演の瀬奈じゅんは、平安朝の衣裳がよく似合う匂宮で、宮中の女性たちから思いを寄せられる貴公子として説得力のある美しさ。また闊達な様子とうらはらな孤独や愁いも、この舞台の匂宮には必要だが、瀬奈はその両方を資質として持っているのが強みだ。関わりのあった女たちに囲まれるコミカルな場面では間のよさと明るさを発揮、一方の浮舟との恋では、情緒溢れるラブシーンを大胆に演じて観客を酔わせてくれる。大詰めに夕霧一族と対峙する場の凛とした迫力や、ラストシーンで殿上に歩み去る孤高などで大きさも見せて、人間として男として陰影に富んだ匂宮像を描き出した。

 薫の君は霧矢大夢で、罪の子として苦しむ薫の内面を吐露する場面が前半にないので、そのぶん難しい役になっている。だが、東京公演でラストが変化した匂宮との距離などで、立場と本音の間に揺れる薫の複雑さがよく見えるようになった。また、柏木と女三の宮の血を引く激しさをセリフのなかにときどき潜ませ、内面の嫉妬と苦しみを表現している。それだけに女一の宮への幼い日の憧れを語る明るさや、母の話をしたあとで浮舟にすがる場面の弱さなど、本心を見せる部分が効果的だ。

 浮舟の羽桜しずくは、儚さや美しさがあり、容姿の面では浮舟にまさに適役である。この作品で浮舟は、囲われて暮らしてはいるが自分を失わない芯の強さを持っている。そこに匂宮と薫は惹かれたり、すがったりするのだが、羽桜の素朴さとおおらかさにうまく重ねられている。歌、セリフなど技術面での課題は多いが、なによりもまず必要なのは真ん中に立つ自信だろう。銀橋でかつぎを取ったときの目を奪う美しさは、それだけで価値のあることなのだから。

 城咲あいは傀儡子の仲間で宮中で踊る小宰相の君。匂宮の心を敏感に感じて宮中から連れ出す場面もあり、出番は多くないが展開のポイントとなる役である。蓮っ葉な物言いのなかに優しさを見せるいい女で、城咲には、こういう色濃い役どころがよく似合う。和物化粧があまりうまくないのでさらに工夫を。

 匂宮の姉、女一の宮は花瀬みずか。幼い頃、匂宮や薫とともに暮らしていて、彼らから憧れられる存在だったという美しさと優しさがある。後半の閨で匂宮に向き合う場の、気品と落ち着きが印象深い。

 匂宮の兄にあたる二の宮は遼河はるひ。世継ぎ人と育てられた人の大きさがある。恋人との逢瀬で見せる色気ははんなりと美しく、政争に巻き込まれ失脚する悔しさ、悲しみを短い出番できちんと見せた。

 桐生園加の時方は、匂宮の側近で乳兄弟というような存在。しっかり者に見えて頼りにならないところもあり、程よい笑いを取る。薫の家司である仲信は越乃リュウ、浮舟の顛末を語るセリフなどに大人の味わいがある。その婿で匂宮の家司・道定は龍真咲、軽い動きと陽性な魅力で出てくると目を引く。二の宮の側近・右京太夫はこれで退団の朝桐紫乃。主人思いの苦しみを短い出番で感じさせる。  

 匂宮の弟である五の宮は明日海りお、気品ある容姿で口跡もよく、花のような明るさ。

四の宮の良基天音と上野の親王の研ルイスは、宮中人の物見高さと冷ややかさを見せる役どころ。

 専科から出演の3人のうち、光源氏の萬あきらは、オープニングで呆けたさまを巧みに表現し、宇治田楽での人形振りは見事。梨花ますみは明石の中宮で、匂宮の母である前に宮中で生きる女性の強さを表現。光源氏の息子で権力掌握に熱心な夕霧は磯野千尋、黒幕然とした重みを出している。夕霧には2人の息子がいて、衛門督の青樹泉と弟の宰相中将の星条海斗は、匂宮への対抗意識と血気さかんなところを見せる。六の君の夏月都は権勢を誇る家の娘らしい傲慢さがある。

 源氏の家とは政敵の紅梅の娘で、二の宮と引き裂かれる中の君は蘭乃はな、可憐ななかに恋の情熱を感じさせる。その侍女の萌花ゆりあも清楚。

 娘役たちは、おもに女一の宮の侍女で、匂宮とわけありの女人たちに扮している。美鳳あや、涼城まりな、音姫すなお、憧花ゆりの、妃鳳こころなどがメインで、匂宮を囲んで懲らしめる場面は賑やかで楽しい。

 浮舟の侍女は美夢ひまり、務めに忠実なしっかりもの。浮舟の弟・小君は千海華蘭で華のある容姿で成長が楽しみな男役。

浮舟を助ける横川の僧都に一色瑠加、風格ある佇まいはさすが。その妹は羽咲まなで清々しい尼僧。

 薫の幻想の場面に出てくる柏木・美翔かずきと女三の宮・天野ほたるは、短い舞踊劇ながら恋に落ちる様子を情熱を感じさせて演じている。

 記憶のなかに登場する幼少の頃の薫・舞乃ゆか、匂宮・咲希あかね、女一の宮・花陽みらは、これから活躍しそうな娘役たちで可愛く演じている。

 小宰相の君が匂宮を連れ出す先には、傀儡子の一団がいる。兄の慈童丸・光月るうは厳しさを見せる役。巫女の琴音和葉と彩星りおんは銀橋で歌い踊る。田楽の歌手の沢希理寿と五十鈴ひかりが気持ちよい歌声を聞かせてくれる。この宇治田楽の場は、一色瑠加や美夢ひまりをはじめとする50人以上のメンバーが、庶民のエネルギーを迸らせて迫力ある見せ場になっている。また、最初と最後の宮中の場では、五十鈴ひかり、羽咲まなをはじめとする楽人たちが、生で聞かせてくれる琴の音が、物語をひときわ雅な世界へと誘ってくれる役目を果たしていた。

 最後に演出への注文になるが、オープニングで見せた“明暗の緩急”が、後半やや“暗”に傾きがちになるのが大野作品で、作品内容のよさとは別に、もう少し華やぎを持ち込む演出は必要だろう。大野のアイデアも入っているという美しい舞台美術も、後方席からはその良さが見えにくいのが残念だ。古典だからこそ足を運ぶ幅広い年代の観客層のためにも、作品世界を損なわない範囲で、見やすい明るさを考えてほしい。

(⇒月組『Apasionado!!』 若い作家の「罪」についての2公演(2)へ)

(⇒雪組『カラマーゾフの兄弟』 若い作家の「罪」についての2公演(3)へ)


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