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名振付師の素顔に迫る 「ジェローム・ロビンスが死んだ」

2008年9月7日

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写真ロビンス演出・振り付け「ウエストサイド物語」(64年の来日公演)写真津野海太郎さん

 ミュージカル「ウエストサイド物語」「屋根の上のバイオリン弾き」などで知られる振付師ジェローム・ロビンス(1918〜98)は、「赤狩り」に遭って同志を名指しした密告者だった――。和光大教授で評論家の津野海太郎さんが『ジェローム・ロビンスが死んだ』(平凡社)で、その経緯を丹念に調べ上げた。

 津野さんにとってのロビンスとは、彼が作曲家バーンスタインと初めて組んだミュージカル「オン・ザ・タウン」(44年)の映画版「踊る大紐育(ニューヨーク)」(振り付けは、監督のジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン)だという。24時間の上陸許可をもらった水兵3人が、ニューヨーク観光をしながら3人の女性と出会う物語だ。

 「ミュージカル映画としては当時異例の野外ロケで撮影された。街に出たことで、底抜けの幸福感があった」

 その原案者であるロビンスが、なぜ密告を? 訃報(ふほう)を機に意外な事実を知った津野さんは、資料を駆使してその内実を探る。38年に発足した非米活動委員会は冷戦初期、共産党に関与した演劇・映画人らに狙いを定め、聴聞会に召喚して証言を強いた。それを拒むことは活動生命を絶たれるに等しかった。さらにロビンスはユダヤ人、元共産党員、同性愛者という三つのマイノリティーに属していた、という背景に迫る。

 「密告を拒否するのは難しかったろうと思うが、何が正しいかの結論はつかない。問題はその後、何をしたかです。ロビンスは沈黙を貫きながら、過激な作品作りに突っ走った。人種問題を正面に据え、ダンスも高度なものになっていった。苦い経験がなければ出来なかったのでは」

 ミュージカルとは、ミュージカルコメディーの略。マイノリティーの抗争を描いた「ウエストサイド物語」(57年)は「ロミオとジュリエット」を下敷きにしているとはいえ、当時のブロードウェーでは異質といえる、主人公が殺される悲劇だ。このシーズンのトニー賞作品賞は楽天的な「ザ・ミュージックマン」に敗れている。「ウエストサイド物語」が世界的な名声を博したのは、ロビンス自身がメガホンを取った61年の映画化以降のことだった。(小山内伸)

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