歴史ある捕鯨基地の港町・鯨丸市。ここで見つかった防空壕(ごう)跡がタイムトンネルとなり、63年前の空襲が眼前に立ち現れる。燐光群の新作「戦争と市民」は、作・演出の坂手洋二が多彩な切り口で「戦争と日本人」の距離を問う、2時間半超の大作だ。
鯨料理の食堂を営むヒサコ(渡辺美佐子)が防空壕跡に引きこもるうちに、空襲の記憶がよみがえる。折しも「北の国」のミサイル実験や国際的な反捕鯨運動、原発建設計画に町の人々は動揺を隠せない。ヒサコは、壕を戦争を記憶する博物館にしようと訴え、市長選に立つ。
ノンポリのおばさん然としたヒサコが、急激な変化を遂げる。そのきっかけとなるのが、出演者が総出で演じる空襲の惨状だ。渡辺の東京大空襲の実体験に基づいてつくられたこの場面を、ヒサコは自らの分身である少女(阿諏訪麻子)と見つめる。恐怖におののく目。立ちすくむ姿。緻密(ちみつ)な表現に事実の重みを加えた渡辺の演技は、観客を戦火の中へ引きずりこむ。
鯨と戦争と市長選。複雑な三題噺(ばなし)を、坂手は鯨丸市の年代記として紡いでみせた。剛腕といっていい。
鯨を食べない進歩派の市長(大西孝洋)、市長の座を狙う市議長(吉村直)、捕鯨は文化と主張する漁師(児玉泰次、猪熊恒和ら)といった人々が、実に活発に議論を交わす。せりふが説明過多に陥る部分もあるが、この確信犯的な議論の多さは坂手戯曲の特色であり、成熟した議論が成り立ちにくい現実社会への痛烈な批評にもなっている。
メッセージ性を強く打ち出す一方、坂手は人々の来歴や個性を掘り下げることにも腐心した。ひとりひとりの物語を描いてこそ、市民とは何かを問えるという思いの表れなのだろう。(藤谷浩二)
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7日まで東京・下北沢のザ・スズナリ。その後各地巡演。