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コンテンポラリーダンス、言葉と出会う

2009年4月7日

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写真冨士山アネット「不憫」=生井秀樹氏撮影写真川崎市アートセンター「ブ、ブルー」。古川日出男(左)と黒田育世=片岡陽太氏撮影

 言葉にも何にも束縛されず、ひたすらに身体表現の可能性を追求するコンテンポラリーダンスの世界。ところが、このところ戯曲や批評、小説などの文章表現から出発した舞台が目立つ。「テキストが踊りだす」のは、新しい潮流なのか。言葉と出会っても、ダンスはダンスであり続けるのか。(藤谷浩二、吉田純子)

    ◇

 ギプスや松葉づえにパジャマ姿の人々が、不自由な体をくねらせて踊りだす。医師や看護師らも加わり、騒動はどんどん過激に――。

 パフォーマンスユニット「冨士山(フジヤマ)アネット」が昨年暮れに上演した「不憫(ふびん)」は、病院を舞台にした、ほぼ無言の舞台だが、物語性のある演劇にも、独創的な動きのダンスにも見える。

 作品の作り方に、その理由があるようだ。コンテンポラリーダンスは、振付家とダンサーがけいこ場で実際に身体を動かしながら創作してゆくことが多い。だが「不憫」では、俳優としても活躍している主宰で作・演出・振り付けの長谷川寧(ねい)が、まず戯曲を執筆。けいこでは、出演者が戯曲を声に出して「本読み」した後、場面ごとに生まれる感情や人物の関係性を身体の動きに置き換えていった。

 ドイツのピナ・バウシュが実践する「タンツテアター(演劇的ダンス)」になぞらえ、長谷川は自らの表現を「テアタータンツ(ダンス的演劇)」と呼ぶ。「外から振り付けを与えるのでなく、役や演者の欲求から動きを創造する点が通常のダンスと違う」

 あらかじめ書かれた「批評」から作品をつくったのが、ストウミキコと外山晴菜のふたりでつくるダンスカンパニー「キリコラージュ」だ。2月に初作品「それでつくります。」を東京・こまばアゴラ劇場で上演した。

 批評と言っても、対象となる舞台はまだ存在しない。3人の著名人に、好き勝手に作品をイメージしてもらい、書いてもらった。今回は映画監督の犬童一心、ダンサーで振付家のじゅんじゅん、劇作家の永井愛に依頼した。

 「毛沢東という怪物の持つ異様なエネルギーが舞台からしっかり伝わって来た」(犬童)/「これってボレロだよね」(じゅんじゅん)/「小さな生き物の立場に身を置いてみたい方にオススメ」(永井)。

 この三つの「評」から本編を想像、互いのイメージを突き合わせて作品をつくりあげた。文化大革命などのモチーフは、装置や動きで多少拾うものの、言葉の意味には縛られず、ナンセンスかつ激しい動きを次々に繰り出した。

 「新聞で映画なんかの評を読んだら『へえ、これ面白そう』とわくわくするけど、見た後に感じることは人それぞれ。そんな風に、言葉に突き動かされて来てくれたお客様に、自分たちのダンスを好き勝手に感じてほしいと思った。舞台から何か、共通のものを無理に感じとらなくていい、ダンスに正解はないんだ、とのメッセージもこめた」とストウは言う。

 川崎市アートセンターが2月に上演した「ブ、ブルー」は、音楽、文学、マンガとダンスを組み合わせたシリーズの一作だ。古川日出男の書き下ろし小説を黒田育世の振り付け・構成・演出で舞台化した。古川も出演。即興執筆などのパフォーマンスを交えながら速射砲のようにテキストを語り、傍らで黒田が激しく踊る。黒田が朗読したり歌ったりする一方、古川が黒田と踊る場面もあった。

■「表現縛られるな」

 言葉を意識したダンスが登場する背景には何があるのか。

 舞踊評論家の乗越たかおさんは、これらの試みを「巨大な表現欲求を持つダンサーが言葉に関心を持つのは、むしろ自然なこと」と見る。

 「欧米では、テキストや声も身体から生まれる表現のひとつという認識が底流にある。日本にも能や歌舞伎があるし、暗黒舞踏の土方巽の時代からダンサーには優れた書き手が多かった」と、言葉とダンスの親和性を指摘する。

 また、演劇出身の長谷川にも注目する。「欧州ではバレエの基礎がある人材が中心で、ダンス市場も確立している。日本は、ダンスや演劇の専門教育を受けていない人でも小劇場で自由な表現ができるガラパゴス的な状況。制約にとらわれない場から、新しい表現が生まれる可能性はある」

 一方、舞踊評論家の石井達朗さんは、他者のテキストから作ったダンスについて、「芸術家の個性や独創性を礎にする西洋とは違う、連歌や俳句のような日本の伝統文化に通じるものを感じる」と分析する。

 ただ、作品のメッセージが言葉の限定する「意味」に縛られると、ダンス本来の目指すべき世界から離れてしまう、とも。

 「身体の強度、可能性をどれだけ掘り下げることができるか。これがダンスという芸術の究極の課題。何らかのテキストが出発点であっても一向に構わない。ただ、生身の身体ひとつで観客にどこまで多彩かつ多様なイメージを与えることができるかが、最も大切なことなのです」

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