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俳優 朝丘雪路 追憶の風景 東京(銀座)

2010年3月13日

写真朝丘雪路さん=鈴木好之撮影

 幼少時、住まいは築地。銀座の泰明小学校には、ばあやと二人で人力車で通いました。ばあやはおべべを持って待っていて、帰りがけに花柳流の踊りのおけいこに通いました。

 銀座はね、お風呂上がりによく父と浴衣姿で歩きました。銀座の柳がいいにおいをさせて、幸せに満ちていました。下町ですから、お店の人が店先に水をまくんです。そうすると、通りにかげろうのようなもやもやが上がって、向こうから最新のモードの洋服を着たスタイリッシュな女性、仕立てや柄のいい着物を着た女性が歩いてくるの。ああ、大きくなったらこうなりたい、と思いました。

 父は日本画家の伊東深水。パパは「あの人には老けすぎの着物柄だね」とか、いうんです。街で見た白地に紺色の水玉柄の服をあつらえてもらったこともあった。戦争が激しくなっていないころは、銀座は主に、付近の住民がぶらりと来るところでした。

 新橋芸者衆もよく目にしました。一流の花街ですから、着物も持ち物も一流。裏通りには芸者屋さんがあって、踊りを一緒にけいこしている芸者さんに会いに行くと、まだ引き戸でね。ガラガラガラと開けると、チリンチリンと音を立てて、上がり口の向こうには長火鉢があったりして。周辺には三味線屋さんや見番もありました。

 小学校5年のころかな、芸者衆と銀座の銭湯に行くと、芸者衆が首にえりおしろいを塗るんです。水おしろいを緩くして手でつける。これ、現代劇で着物を着る役の時、私も採り入れてます。燗冷(かんざ)ましのお酒で溶くと奇麗に塗れるというのも芸者衆仕込み。後に歌舞伎俳優の先代中村時蔵さんと共演した時、時蔵さんもそうしていた。

 父は歌舞伎や新派の俳優と親交があって、新派の花柳章太郎先生とは大親友でした。新橋演舞場で花柳のおじちゃまの楽屋入り口にあった、ひらひらしたのれんが目に焼き付いています。鏡台に向かっているおじちゃまの背中からは、おしろいのにおいがぷーんとしてきた。銀座のマダム役だった時は「じょりじょりしておくれ」というので、安全カミソリでおじちゃまの足の毛をそったこともありました。

 こんな環境もあって、芸能界入りは自然の流れでした。おじちゃまとは1962年、「箱根山」で共演させていただきました。おじちゃまは心臓の薬を飲みながらの舞台。おばちゃまから「ちゃんと見ててや」と頼まれました。おじちゃまは、おばあちゃん役だったのですが、花道で、おこつくところ(つまずく演技)を見て、私、どうかしちゃったのではと思って「おじちゃまー」と叫んじゃった。「おばあちゃん」なら分かりますけどね。

 舞台や映画に出演する時の支えの柱が、銀座でした。この場所には、今出演中の「三婆(さんばば)」が上演されている演舞場も、主宰する日本舞踊深水流の会をしてきた歌舞伎座もあって、アイスクリームやコーヒーや天丼やら、いろんな味がする。

 だから、一週間も銀座に来ないと、「銀座シック」になっちゃう。逆に銀座を思うと、何でも楽しくなる。でも、だめね、父に甘やかされて、つらい目に遭うと、辛抱が足りなくて……。でも、もし、世間知らずの私の明るさが周囲の人を少しでも明るくできるなら、そうね、銀座で楽しく育った私の意味もあるのかもしれませんね。

    ◇

 自宅より銀座で過ごした時間が生き生きと思い起こされるという。好奇心に満ちた銀座の少女が、そのまま大人になった感じがした。(米原範彦)

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 あさおか・ゆきじ 1935年生まれ。俳優、歌手。幼少時に日本舞踊、洋舞などを始めた。宝塚歌劇団を経て、テレビや映画、舞台で活動。日本舞踊深水流家元でもある。夫は俳優津川雅彦。

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