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激痛耐え闘病、井上ひさしさん支えた創作意欲 三女語る

2010年4月15日

写真井上ひさしさんの三女で「こまつ座」社長の麻矢さん写真拡大戯曲「組曲虐殺」の完成を麻矢さんに知らせた井上ひさしさんからのファクス

 9日亡くなった、作家・劇作家の井上ひさしさんは、病床でも執筆への意欲を燃やし続けていた。ユーモアを忘れず、病気と闘った最後の日々を、三女の麻矢さん(42)が語った。

 「樋口一葉、林芙美子、宮沢賢治……、たくさんの人の評伝劇を書いた井上ひさしは、死についてとことん考え抜いた人です。自分の死と向き合った時も、最後まで闘い続けました」

 麻矢さんはそう振り返る。

 井上さんに不調が現れたのは昨秋。小林多喜二を描いた戯曲「組曲虐殺」の執筆中だった。10月3日の舞台の開幕を見届けてから病院へ行ったところ、肺に1リットル以上も水がたまっているのが分かった。

 「書きながら飲んだ栄養ドリンクが、みんな肺に行っていたようだよ」と冗談を言っていたが、かなり進んだ肺がんだとわかった。

 すぐに抗がん剤治療が始まった。副作用で「内臓がひっくり返されるよう」と言うほど苦しんだが、麻矢さんには「ゆるぐねえな」と笑いかけた。「組曲虐殺」の中の「楽ではない」という意味のせりふだ。

 今年に入り治療は一段落したが、背中が痛くなり、ものを飲み込むのも苦痛になった。しかし、「食べなきゃ、新作が書けない」と、何時間もかけて食事をした。

 「ベッドで寝たまま食べた方が楽でしょうと勧めても、必ず起きて、いすに座り、テーブルで食事していました。疲れるとベッドに戻ってしばらく休み、またテーブルへ。父は昔から家の中でもきちんとしていた。そのスタイルを崩そうとはしませんでした」

 沖縄戦を素材にした新作戯曲「木の上の軍隊」を書く。その意志が支えだった。ベッドの周りに資料を積み上げ、熟読し、メモをとった。「沖縄だけで10本くらい書けそうだ」と声を弾ませ、「長崎も書かねば」とも言っていた。

 しかし、体力は次第に失われていった。

 4月初め、山形市内で開設計画が進む「井上ひさし未来館」の館長への就任を打診された麻矢さんが相談した時は、はっきりした声で「素晴らしい人事ですね」と答えたが、その後、だんだん眠る時間が長くなった。

 最期は、神奈川県鎌倉市の自宅で。そう希望した家族が主治医と相談して、帰宅したのが9日朝。

 「この日は、薄く目をあけて静かに眠る父のそばでずっと、妻のユリさん、大学1年の長男と一緒に、いろいろなことを明るく話しながら、手足をさすっていました。夕方からだんだん呼吸が浅くなり、午後10時22分、静かに息を引き取りました」

 井上さんお気に入りの白い襟無しシャツに着替えさせると、オーダーメードで体にぴったりだったシャツが、ずいぶん大きく感じられた。

 「やせてしまっていた。言葉で時代や世の中と真剣勝負をし続け、病気とも闘って。本当にお疲れさま。そう声をかけました」(論説委員・山口宏子)

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