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国王の動き焦点 軍、首相不在狙う? タイ・クーデター

2006年09月20日14時05分

 もう起こることはないだろうと考えられてきたタイの軍事クーデターが19日夜、15年ぶりに現実のものとなった。経済発展とともに民主化も定着したと評価されてきただけに国内だけでなく周辺諸国や内外の投資家にも衝撃は大きい。カギを握るのは今回もプミポン国王だ。

 タクシン首相一族の株取引疑惑に端を発した政局混乱はすでに8カ月に及ぶ。最近になってクーデターのうわさが飛び交ってはいた。

 先月24日には首相の私邸近くで爆発物を積んだ車が発見され、警察が「暗殺未遂」として軍人らを逮捕したが、反首相派やマスコミは次期下院選挙を有利に運ぶための首相の自作自演説を主張していた。

 当の首相は今月9日以来、ヘルシンキでのアジア欧州会議首脳会議、ハバナでの非同盟諸国会議、国連総会に連続して出席し、01年の就任以来、最長の外遊を続けていた。軍は首相不在をねらってクーデターを仕掛けたとの見方がある。

 20日には、首相退陣を求める市民団体が3月以来の大集会をバンコクで開催することになっており、政権との間で緊張が高まっていた。

 さらに見逃せないのは恒例の軍首脳人事が来月予定されていたことだ。クーデターを率いたソンティ陸軍司令官はかねて首相とそりがあわず、異動が取りざたされていた。軍内部の首相派が主要ポストを占めることを阻止するねらいもあったとの分析もある。

 首相は4月、状況打開をめざして下院選に踏み切ったが、主要野党がボイコットしたうえ、裁判所から選挙を無効とされた。10月予定のやり直し選は延期が確実な情勢で、首相は4月の辞意表明をほごにするような発言を繰り返し、混迷は深まるばかりだった。

 南部で同時多発の爆破テロが相次ぎ、責任の所在をめぐって、ソンティ司令官と政権幹部が対立する場面もあった。

 それでも国民やメディア、知識人の多くはクーデターを現実のものとは受け止めていなかった。

 背景には、軍事政権と市民が衝突し多数の死者を出した92年の事件をふまえて制定された現在の憲法が定着し、民主化が進んだと信じられてきたことがある。

 実際、多くの軍幹部は「もうクーデターの時代ではない」と話していた。

 経済規模が大きくなり、グローバル化が進む時代に非民主的な行動を取れば、海外からの投資が冷え込み、市場や国民の生活に大きな影響が出ることも軍の冒険主義への歯止めになるとみられてきた。

 タイでは民政が腐敗し政治危機が深まるごとに軍のクーデターが繰り返されてきた。憲政史上最も多くの議席を持ち、盤石とみられたタクシン政権が法の手続きからはずれる形で転覆させられたことは、アジアの民主主義の行く先に暗い影を落とすだろう。

 タクシン首相が4月に辞意を表明したのは、プミポン国王と謁見(えっけん)した直後だった。92年の流血の政変でも国王が調停し、事態は収束した。

 今回、クーデターに参加した兵士は黄色いリボンを肩に付け、戦車にも黄色い旗が付けられている。国王への敬愛を示す色だ。民選首相へ反旗を翻した軍は「国王への忠誠」を前面に動く。

 ソンティ司令官は19日夜、早速プミポン国王に事態を報告した。代議制民主主義の枠にとらわれない2人の話し合いが、国の行方を決めることになりそうだ。

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